Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

東京宝塚劇場と「微笑」像の脇を通りがかりて

2005年11月03日 10時15分38秒 | Journal
 日比谷公園を出て、帝国ホテルの向かい、東京宝塚劇場の脇を抜ける。角に「微笑」なる裸体像(笹戸千津子作)があるのに、初めて気がつく。曲がったところで、立ち見席はいくらするのか、チケット売り場で確認して、足早にどこかへ立ち去ってしまう中年女性を見かけた。東銀座の歌舞伎座に立ち見席があることは、昔、何度か利用したので承知しているが、この新品の東京宝塚劇場にあるとは意外。しかし、時間も金銭の余裕もなく、立見席から垣間見たひと時の舞台の華やかさというものは、悲しいぐらい美しいものだ。

COMMENT:インターネットで検索したところ、こんな興味深い宝塚小史の紹介があった。→東京宝塚劇場は、東京都千代田区有楽町にある劇場。宝塚歌劇団の東京での本拠地である。阪急電鉄の小林一三が設立した株式会社東京宝塚劇場(現在の東宝)によって、1934年1月1日に開場した。第二次世界大戦中は、日本劇場とともに風船爆弾工場として使用された。1945年12月24日から1955年1月27日まで、GHQが、異文化の国に駐留する兵士達の慰安を目的に東京宝塚劇場を接収し、アーニー・パイル劇場(ERNIE PYLE Theatre)に改称、日本人は観客としての立入が禁止された。名前は、1945年4月18日沖縄県伊江村|伊江島の戦闘で死亡した従軍記者アーニー・パイルに因んだものである。老朽化のため1997年12月29日に一旦閉場し、翌1998年1月から建替え工事を開始、2001年1月1日に新築オープンした。
 新築前の旧劇場は、関東大震災の復興期におけるモダニズム建築の傑作のひとつとして評されていた。宝塚歌劇団の公演を目的としているため、舞台のサイズ、設備等のシステムは、宝塚大劇場と同等になっているが、客席は、こちらが、やや少なく2069席と、なっている。現在の支配人は元花組トップ甲にしきこと小川甲子。「宝塚大劇場」「東京宝塚劇場」ともに劇場の管理、舞台の運営・製作は、阪急電鉄より分社化した宝塚舞台が行っている。
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