門を左に出て、MRTの中正紀念堂駅の入り口を下る。そのとき撮ったのか忘れてしまったが、エスカレーターの乗り方を教示する掲示板があった。ニッポンでは右側をあけるが、台湾は左側のようだ。こんなのも最初は変な感じがする。
広場に鳩はつきものだ。しかも自由広場となれば欠かせない。その鳩に興奮して駆け巡るおじさんがいるのも、よくある事例。実社会ではなかなか低迷を強いられて飛べないおじさんが、鳩に感化されて空を飛翔する夢をいっとき味わうのであろう。ところで、写真には見えないが、この門には蒋介石の肉筆で「大中至正」の文字が書かれている。その意は、「困難にめげず誠心誠意を尽くす」なのか「何事も中庸が正しい」なのか、ガイドブックで書いてある訳が違う。鳩おじさんにとって、どちらが有り難い言葉の意味になるだろうか。
中正紀念堂を出てきて一枚撮った。こういう左右対称は洋の東西を問わず、権力の構造である。為政者の人民支配の意識である。右の建物は国歌音楽廟、左は国歌戯劇院、どちらも改修中であった。トイレを借りに右の音楽廟のわきから地下へ入ると、下は巨大な駐車場になっていた。国防上の意味もあろう。
蒋介石総統の寿命分を積み上げた89段の石段を登り、中正紀念堂にはいると、蒋介石のブロンズ像が正面に見える。しかし、中は賑やかな飾りつけと、写真のパネルがたくさんあったな。文化的なもの、交流的なもの、政治スローガン的なもの、趣旨はさまざまな写真だ。
蒋介石の大きな像がある中正紀念公園の中正紀念堂へ行く。ここは広大な敷地(25万㎡)の中にある。北京のスケールに負けてはならないという政治的な意図が働いたのであろう。堂に向かって歩いていると吸い寄せられるように段々小走りになってしまうのが、なんだかおかしい。青い屋根までの高さは70メートルだとか。
なお、インターネットで調べて、2007年5月、中正紀念堂は「台湾民主紀念館」に名称が変更となっていたことを知る。近年、台湾では正名運動(名称を正しくする運動)が盛んになり、「中正(蒋介石の称号)」を使わないように、様々な名称を改正しているのだとか。
なお、インターネットで調べて、2007年5月、中正紀念堂は「台湾民主紀念館」に名称が変更となっていたことを知る。近年、台湾では正名運動(名称を正しくする運動)が盛んになり、「中正(蒋介石の称号)」を使わないように、様々な名称を改正しているのだとか。
ホテルを出て、10分も歩くと総統府がある。日本の統治時代、1919年に近藤十郎が設計した台湾総督府。戦中に大半を焼失したが、戦後、再建され、蒋介石が国民党政府の総統府として使い、現在は台湾行政府に、陸海空の最高司令部もあるので、機関銃を持った憲兵の姿もものものしかった。7年の歳月をかけて建設されたとうが、近藤十郎という設計者についてインターネットで検索するも、よく分からない。「台湾加入聨合国」「UN For Taiwan」というのは?総統選にあわせて台湾は「台湾」名義で国連に加盟するか否かの住民選挙を予定しているのだとか。
さらに調べると、<台湾は1971年、中国の国連加盟に抗議して国連を脱退。93年から昨年まで14年連続で「中華民国」名で国連復帰を申請したが、門前払いされた。陳水扁総統は今年初めて台湾名で加盟申請。7月には総統自ら国連の潘基文(バン・キムン)事務総長に申請書を送ったが、受理されず、翌8月、友好国を通じて、今月開幕する国連総会の議題とするよう提案した。「一つの中国」の原則を主張する中国は強く反発。加盟申請は「台湾の主権」を内外にアピールする運動といえる>――なのだとか。
さらに調べると、<台湾は1971年、中国の国連加盟に抗議して国連を脱退。93年から昨年まで14年連続で「中華民国」名で国連復帰を申請したが、門前払いされた。陳水扁総統は今年初めて台湾名で加盟申請。7月には総統自ら国連の潘基文(バン・キムン)事務総長に申請書を送ったが、受理されず、翌8月、友好国を通じて、今月開幕する国連総会の議題とするよう提案した。「一つの中国」の原則を主張する中国は強く反発。加盟申請は「台湾の主権」を内外にアピールする運動といえる>――なのだとか。
高雄から台北に戻って、台北駅のそばにある、これは木賃宿といっていい駅前ホテルに泊まった。ニッポンで他のホテルをあたったが、ここしか手頃な価格で空いているのがなかったのである。空港へ出るバスターミナルが近いのも安心と予約した。新光摩天展望台がある高さ244メートルの超高層ビルの陰にちょこんとあるホテルだ。安宿を求めるニッポン人には慣れたフロントの応対。部屋はちょっと寒々とした感じであった。