折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

不自由には勝てず~とうとう、遠近両用に・・・。

2010-04-16 | 日常生活
今でもそうだが、『おしゃれ』には全く関心がない。

独身時代は、稼いだお金は全てオーディオ、レコード、本等の趣味に消え、服装はそれこそ『着たきりすずめ』の生活であった。

結婚してからは、さすがに独身時代のように全額を趣味につぎ込むことはできなくなったが、小遣いは相変わらずほとんど趣味に消えていた。

もともと、ファッションには興味も関心もないのだから、放っておけばいつまでもそのままである。

だから、背広などを作る時も、言い出すのは決まってかみさんで、自分から『新調しよう』などと言ったことは一度もない。

それでも、サラリーマン時代、何とか恥ずかしくない程度に身だしなみを整えることができたのは、一重にかみさんの気遣いとコーディネートのおかげである。

リタイアしてからは、そのかみさんも現役時代ほどには気遣いはしなくなったが、このところ『老眼』が進み、頻繁にメガネをかけたり、はずしたりが多くなり、時々、はずした眼鏡をどこに置いたのか忘れて、あちこち探し回る姿を見かねて、『メガネ、遠近両用にしたら』と再三忠告に及ばれてしまった。

そう言えば、今かけているメガネは十数年前に拵えたもので、レンズも傷んできている上に近視オンリーであるから、老眼が進んだ今では新聞や本を読む時はメガネを一々外さねばならず、煩わしいことこの上ないのは事実なのだが、と言って、新しくするのも面倒と、ぐずぐずしていたのだ。

今回もやはり、かみさんの一言が決め手で、ようやく重い腰を上げて近くのメガネストアに。



十数年ぶりに新調したメガネは遠近両用


『老眼進んでますね、これでは、何かとご不自由でしょう』と店員さん。

『遠近両用だと一々メガネをかけたり外したりしないで済みますから、楽ですよ』とも。

『遠近両用のメガネ、かけたことないんだけど、大丈夫かな』

と心配する小生に

『慣れです、すぐ慣れますから』

と、店員さん。

この決め台詞で遠近両用のメガネに決定する。

1週間後、出来上がったメガネを取りに件のストアに。

『遠くを見る時は、アゴを少し引き加減に、近くを見る時は、顔を動かすのでなく、眼だけ動かして下さい。大丈夫です、すぐ慣れますから』と先日の店員さん。

新しいメガネをかけると、メガネを換えた時のあの足元のおぼつかない感覚を久しぶりに味わう。慣れるまでは、この感覚はつきまとうことになるのだろうと思いながら、新しいメガネで家に戻る。

家では、早速、新聞で老眼鏡の効能を確かめてみる。
見る距離、角度によって見え方や鮮明度が微妙に違う。

こちらも、慣れるまで少々時間がかかりそうだ。


その日の夕方。

仕事から帰って来たかみさんと茶飲み話をする。

メガネを換えたことには気がつかない様子。

『久しぶりに、メガネを換えたら、まだ、慣れないね』

と話題を振ると、

『メガネ、新しくしたんだ』

返ってきたのは、クールな一言だけだった。


賛否両論の問題作~小説『告白』

2010-04-13 | 読書
『愛美は死にました。しかし、事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです』

わが子を校内で亡くした中学校の女性教師の終業式のホームルームでの告白からこの物語は始まる。

そして物語は、ひとつの事件を「級友」「犯人」「犯人の家族」からの『告白』という形で語らせ、それによって次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。


『週刊文春08年ミステリーベスト10』で第1位、第6回本屋大賞を受賞した湊かなえの小説『告白』(双葉社刊)を読んだ。



映画化され6月に公開される小説『告白』



本書は、発売から2年近くになる今も図書館の予約待ち順番は常時100人を越えると言う人気ぶりで、読むのをあきらめていたら、つい最近文庫化されたので購入して読んだ次第である。


4歳になる愛娘を教え子である中学生に殺された女教師の復讐の物語だ。

この小説の最大の特徴は、前述したように事件に関係する人たちの『告白』という形をとっていることである。

このモノローグという手法自体はさして珍しいことではないが、犯人である少年A,少年Bの独白を通して、今どきの中学生が何を考え、何を大切にし、何に悩んでいるか、そして、彼らの母親たちがどう彼らに接しているのか、この方面の事情には、とんと疎い小生にとって、その一端がのぞけたように思えて、『なるほど』と大変興味深かった。


それにしても、ショッキングな最終章を読み終って、少年A,少年B、そして女教師は、この後どんな人生を生きるのだろうと大変気になったのだが、そんなことを考えたのは小生だけだろうか。

凶悪な少年犯罪自体はもはや珍しくないので『告白』で描かれているおぞましい世界が現実のものとなっても、不思議ではないかもしれないが、それにしても、何ともそら恐ろしい話しであり、悲しくも、切ない話であり、何ともやり切れない、いたたまれない話である。

ネットでも本書の感想が多数書き込まれているが、小生が見た限りでは結構否定的な意見が多く見られたように思った。

確かに、ミステリーとして読むなら、ページをめくるのももどかしいくらいの読み応えのある本だが、如何せん取り上げたテーマが暗く、重く、生々しいだけに、この本に賛否両論があるのは、むべなるかなと思った次第である。


本書は映画化され、6月に公開されるとのこと。

本の巻末に『告白』映画化に寄せてと題する監督のインタビューが掲載されている。

小生には、登場人物の微妙な内面の心理を表現するには、文章以外はちょっと難しいのではと思えるのだが、映像化でどこまでそれを表現できるのか、監督、役者の力量が問われることになりそうだ。

映像になると、文章で読んだ時以上に生理的嫌悪感を催しそうで、映画が公開されたら見ようか、見まいか今から思い惑っているところである。




今年の花見・最終章~世界に一つ・チョウショウインハタザクラ

2010-04-10 | 日常生活

世界にたった一つの桜
「櫻の科学(日本櫻学会編)」平成10年9月版誌上において世界に一つだけの新種とされたチョウショウインハタザクラ。



連載して来た『今年の花見』シリーズ、最終回は世界に一つのさくら『チョウショウインハタザクラ』である。


このさくらは、隣接する埼玉県志木市にあり、同市の天然記念物に指定されている。





見に行ったのは、週末の午後。
初夏を思わせる陽気に目的地の『長勝院跡』に行く柳瀬川の堤防はさくらを惜しむ人たちがそぞろ歩きを楽しんでいる。その人たちに風で舞い落ちるさくらの花びらが降って来て、まるで『花吹雪』の観を呈している。

この桜並木を6,7分歩いた右手に目指す長勝院跡がある。

この長勝院、ルーツは古るく、平安の末期まで辿るらしい。
そして、損朽が著しくなった昭和61年5月に寺が解体され、往時を偲ぶものはこの1本の老桜のみとなってしまったとのことである。


推定400年以上の老木・長勝院跡の旗桜
平成5年10 月6日に市の文化財に指定された。
平成15年4月1日市民の木に制定される



1週間前に訪れた時は、まだつぼみの状態であったが、この日はこの数日の暖かさで7,8分咲きで、まさに見頃を迎えていた。

ハタザクラの特徴

チョウショウインハタザクラはヤマザクラの変種だが、野生のヤマザクラと比較して次のような特徴がみられる。
枝はやや太く、花は大型で花弁は円形に近い広楕円形で、長さ2センチ弱にもなる。ほとんどが白色で時には先端に淡紅紫色を帯びる。蕾の時は白色で先端は淡紅紫色を帯びる。
他のさくらと同じく花弁は5枚であるが、かなりの頻度で6~7枚の花弁が見られる。正常の5枚以外のものは雄しべが花弁のように変化したもので、これが旗状になっており、『旗弁』と呼ばれ、ハタザクラの所以である。一輪の花の中に可憐なハタがゆれるのは、まことに優美で自然の妙に感激してしまうほどでソメイヨシノでは味わえない趣のある桜である。(以下略)
(同市のはたざくら保存会の作成したチラシより抜粋)


珍しいさくらを見に多くの人が来ていたが、ここにもボランテアの人がいて、花弁が6~7枚あるさくらを探して見てくださいねと親切に説明してくれていた。

そこで、何とか7枚の花弁のものをカメラに収めたいと目を皿のようにして探したのだが、6枚の花弁のものは、容易に見つかるのだが7枚の花弁のものはとうとう1枚も見つけることができなかった。

しかし、今年の花見のトリを世界にたった一つの桜=チョウショウインハタザクラで飾ることができて、この上なく満足であり、幸せであった。










今年の花見番外編~花よりだんご・愛犬にとっての花見

2010-04-08 | 日常生活

黒目川の遊歩道は、さくらが散ってじゅうたんのよう。

こんにちは。
当家の愛犬のパールです。

毎朝、おとうさんに連れられて黒目川を散歩しています。
この所、満開になったさくらが散り始めて、わたしが歩く道に花びらが積って、じゅうたんのようにきれいです。

そんな様子を眺めながら、『今年の桜は、もう終わりか』とおとうさんは独り言。

おとうさん、今年はことのほかさくらにご執心で、黒目川の他にあちこちのさくらを見に出かけていました。

おとうさん、それだけ年を取ったんだ。(本人は自覚してるのかな?)

わたし、今年で10歳(人間でいえば75歳)になるけど、さくらをしんみり見ようなんて気持ちにはならないけどね。

わたしにとっては、さくらよりも自由にあちこち匂いを嗅ぎまわることの方が楽しいの。だから、いつもは立ち止まることなく、ひたすら真っすぐ歩いているおとうさんが、ちょくちょく立ち止まっては、さくらを眺めたり、写真を撮ったりしてくれるのはとってもありがたいの。

だって、いつも、おとうさんは、わたしが匂い付けをしようとリードを引っ張ると、そうはさせじと意地になって、真っすぐ歩かせようとするのよ。せっかくの散歩なのだから、いろいろと気分転換したいのにね・・・・。

おとうさんが、さくらに気をとられている間は、『鬼の居ぬ間の洗濯』、自由気ままに動き回れるのが、何と言っても楽しいです。

わたしにとっては、花よりだんご(自由)です。


犬の散歩は、自分の散歩と心得て、決して犬のペースに合わせず自分のペースで歩くのが小生流の散歩の仕方である。

このやり方、愛犬にとってはすこぶる不満のようで、時々、首をすくめ、足を踏ん張って抵抗する。しかし、こちらの事情以外は基本的にはこのスタンスを変えない。

さくらの季節、小生がしばしば立ち止まって、メモを取ったり、写真を撮ったりすることが多い。その間、愛犬は自由に動き回われるので、大いに満足そうである。さくらがもたらす、つかの間の自由である。





存在感を見せつける~開幕戦・松井選手のV打・本塁打

2010-04-06 | スポーツ

会心の一撃
白球が右中間スタンドに飛び込んだ瞬間『よっしゃー』と大声を上げてしまった。
(写真はNHKニュースから)


米大リーグが開幕した。

今日は、ヤンキースからエンゼルスに移籍した松井選手の開幕試合である。

昨日、ヤンキースとレッドソックスの開幕試合があり、テレビでも放映されたが、このゴールデンカードも松井選手がいないと色あせて見えるから不思議だ。(勿論、忙しくてテレビは見ていない。)

実は、昨日までは今年の書道の展示会に出品する千字文をひたすら書き続け、その合間を縫って、ブログに取り上げる桜を撮影すべく、あちこちに出かけたりと、このところ、ゆっくりとする時間がほとんどなかったが、昨日ついに千字文を書きあげ、ほっと一息ついたところである。


そんな訳で、今日は晴れ晴れとした気分で、テレビの前でのんびりと野球を楽しんだ。

そして、久しぶりの松井選手のプレーをわくわく、どきどき、はらはらしながら見た。

結果は、『V打』に『初ホームラン』と言うことなし、まさに『松井デー』。


試合後のインタビューに答える松井選手
(写真はNHK衛星第1放送から)


『大舞台でその本領を発揮する男のことだ、この開幕戦もきっと強烈なインパクトのあることをしてのけるだろう』。

試合前そんな予感がした。

そして、ズバリ、その予感が的中して、テレビの前で大興奮。


開幕戦でその存在感を遺憾なく見せつけた松井選手のこれからの活躍が大いに楽しみだ。