折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『赤心』、『至誠』、『志』の人・山岡鉄舟を活写

2010-04-25 | 読書
あまたいる人間の中には、普通の物差しでは収まりきれない規格外の人物がいる。

本書の主人公の山岡鉄舟は、その典型的な人物と言えるだろう。

それだけに、鉄舟にまつわる逸話は沢山残されている。
それらの話が『手練(てだれ)』の作家にかかると新たな『生命(いのち)』を吹きこまれて、生身の山岡鉄太郎(鉄舟)という人間が目の前に生き生きと立ち現われて来るように思えるから、作家の力量たるやすごいものだとつくずく感じ入ってしまう。


『命もいらず、名もいらず(上・下)』 山本兼一著 NHK出版

本書のタイトルは、西郷隆盛が山岡鉄太郎を評して言った「命もいらず名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困りもす。そういう始末に困る人物でなければ、艱難を共にして、国家の大業は為せぬということでございもす」と言う言葉(本書下巻104ページ)から採られている、とのことだが、山岡鉄舟と言う人は、まさにこのような人物として描かれている。

本書を読むと、鉄舟という人が『赤心』、『至誠』、『志』 と言った、今の日本人が忘れてしまった感のある崇高な生き方をした人間であったことが、さまざまなエピソードを通して語りつくされていて、そのような人間がいたという事実に、感動せずにはいられない。


また、本書には、将軍慶喜・清河八郎・勝海舟・西郷隆盛を始め、剣の千葉周作・浅利又七郎、禅の星定・滴水など多士済々な人物が登場し、それぞれが幕末・維新という時代が大きくうねり、変わって行く激動の時代を生きた男たちの生きざまが活写されていて、読み応え十分であるが、特に印象的なのは、海舟が侍従として仕え、しばしば命を賭して直言した、明治天皇との間で育まれた細やかな情愛の数々である。

本文から二つほど引用させてもらうと

鉄舟が明治天皇の侍従になりたての頃の話。

「陛下は、侍従を、玩具とでもお考えでしょうか」
「さようなことはない。そのほうが、酒を九升ものめるなどとホラを吹いた故、嘘をあばいてやろうと思うたばかりだ」
鉄舟は、また首をふった。
「山岡は武士でございますから、けっして嘘はつきません。武士にとって、いや、人間にとって、一番大切なことは、嘘をつかぬこと。その信念をもって生きております」
鉄舟のことばに、陛下がすぐさま反応した。
「ならば、嘘でない証に、九升呑んで見せるがよい。目の前で呑んで見せたら信じてつかわす」
「目のまえで見なければ信じぬとは、人と人のまことの信ではございません。まことの信とは、人の言をそのまままるごと信じること。信じていただけぬとは、この山岡の不徳のいたすところでございます。(本書下巻247ページ~248ページ)

陛下にこれだけの直言ができる。『赤心』なくしてはかなわぬことだと、その揺るがぬ信念に粛然となった。


死期の迫った鉄舟に、明治天皇からのお言葉を伝える場面。

午前十時になって、陛下の侍医である池田謙斎が、勅命で診察に来た。座敷から人払いをして、陛下のことばを伝えた。
「山岡は、よく生きた、と陛下が仰せでございました」

その一言で、鉄舟は、おのれの一生が光に満たされた気がした。(本書下巻425ページ)

というくだりには、読んでいて胸が詰まる。


山岡鉄舟の死は、そのまま、日本の侍の死であった。

これは、本書の最後の1行である。

この1行を書くために作者は上下2巻787ページにおよぶ物語を書いてきたのではないか、この1行に作者の思いのたけがこめられているのではないかと感じた次第である。


ある著名な文芸評論家が、本書について「唯一つ、久しぶりに真に美しい小説を読んだ、というだけでもう満足である。その美しさにおいて本書は山本作品の頂点である。」と評しているが、まさに本書は美しさと、清々しさにあふれた作品であり、多くの人たちに読んでほしい作品であると思った次第である。