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黒目川の遊歩道は、さくらが散ってじゅうたんのよう。
こんにちは。
当家の愛犬のパールです。
毎朝、おとうさんに連れられて黒目川を散歩しています。
この所、満開になったさくらが散り始めて、わたしが歩く道に花びらが積って、じゅうたんのようにきれいです。
そんな様子を眺めながら、『今年の桜は、もう終わりか』とおとうさんは独り言。
おとうさん、今年はことのほかさくらにご執心で、黒目川の他にあちこちのさくらを見に出かけていました。
おとうさん、それだけ年を取ったんだ。(本人は自覚してるのかな?)
わたし、今年で10歳(人間でいえば75歳)になるけど、さくらをしんみり見ようなんて気持ちにはならないけどね。
わたしにとっては、さくらよりも自由にあちこち匂いを嗅ぎまわることの方が楽しいの。だから、いつもは立ち止まることなく、ひたすら真っすぐ歩いているおとうさんが、ちょくちょく立ち止まっては、さくらを眺めたり、写真を撮ったりしてくれるのはとってもありがたいの。
だって、いつも、おとうさんは、わたしが匂い付けをしようとリードを引っ張ると、そうはさせじと意地になって、真っすぐ歩かせようとするのよ。せっかくの散歩なのだから、いろいろと気分転換したいのにね・・・・。
おとうさんが、さくらに気をとられている間は、『鬼の居ぬ間の洗濯』、自由気ままに動き回れるのが、何と言っても楽しいです。
わたしにとっては、花よりだんご(自由)です。
犬の散歩は、自分の散歩と心得て、決して犬のペースに合わせず自分のペースで歩くのが小生流の散歩の仕方である。
このやり方、愛犬にとってはすこぶる不満のようで、時々、首をすくめ、足を踏ん張って抵抗する。しかし、こちらの事情以外は基本的にはこのスタンスを変えない。
さくらの季節、小生がしばしば立ち止まって、メモを取ったり、写真を撮ったりすることが多い。その間、愛犬は自由に動き回われるので、大いに満足そうである。さくらがもたらす、つかの間の自由である。