折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

趣味も「いろいろ」~先輩Nさんのこと

2009-01-16 | 友達・仲間

         Nさんの作品 <北アルプス好天>
「空が青く澄んで、どこまでも高く、広く、この空間の大きさ、強さに魅入られられたのと、時間の経過
と共に山のたたずまいが刻々と変わっていく様子がとても趣があって、この二つを何とか一つの絵に
まとめて見たいという強い衝動に突き動かされて、昨年の暮れの二日間で一気に描き上げたんだ」

(Nさんのコメント)



先輩Nさんのこと


Nさんは大学時代の剣道部の1年先輩である。
しかし、小生同様、剣道部において華々しい活躍をしたと言う記録は、残念ながら見当たらない。


そんなNさんであるが、剣道部OB会のゴルフ・コンペでは「大御所」のごとき存在で、同じ年次のHさん、Sさんの3人で毎年1回行われるコンペを「仕切って」いる。
そのゴルフスイングは、お世辞にも美しいとは言えないのだが、「ゴルフは結果」とばかりに、しぶとくスコアをまとめる「巧者」であり、われわれ後輩の追従を許さぬのは、今流行(はやり)の「矜持」のなせるわざか?!。


Nさんは銀座に事務所を構える優秀な公認会計士であり、また、仕事のかたわら母校の大学で教鞭をとる未だバリバリの現役であり、世の中のお役に立っていると自負している人である。
自らの仕事を「天職」と言い切れる人は少ないが、Nさんは自分の仕事を「天職」と自信を持って言い切る、尊敬できる素晴らしい人である。


また、Nさんは仕事以外でも恵まれた才能の持ち主で、仕事の合間に描く油絵は、趣味の域を超えていると言われるほどの腕前である。
「忙しい中、寸暇を惜しんで、ひたすら絵に向かって集中すると、いい気分転換、ストレスの発散になるんだ」(Nさんのコメント)


そんなNさんの余りにも「格好良過ぎる」人生を見るにつけ、本人の持って生まれた才能や他人にはうかがい知れない努力・精進は勿論あるのだろうが、Nさんは余程「神様のおぼえがめでたいのかしらん」とやっかみたくもなる。


そんなNさんから公認会計士、弁護士等有志の「銀座デッサン会グループ展」の案内をもらったのは昨年の暮れであった。

ゴルフ以外でお誘いを受けるのは初めてなので、大変嬉しかった。

そして、今年の目標の一つである、意識して「外」に出る試みの第2弾として銀座の画廊に足を運んだ。


Nさんの出展した作品を鑑賞しながら、先輩の描く絵画のように「玄人はだし」の趣味もあれば、小生のように、体の良い暇つぶしのお遊びにすぎないような趣味もあり、某元首相の言ではないが、趣味も「いろいろ」であることを身に沁みて感じた。

そして、今年の年賀状に「趣味三昧」の生活を楽しみたいなどと余り深く考えもせずに書いてしまったことを「穴があったら入りたい」と反省すること頻りである。



第15回銀座デッサン会グループ展

日時:平成21年1月12日(月)~1月18日(日)
   AM11:30~PM6:30(最終日PM3:00)
場所:ギャラリーミハラヤ
   中央区銀座1-4-6 孔雀ビル1F

二人の老母~「世話を焼いてきた」立場から「世話を焼かれる」立場に

2009-01-13 | 家族・母・兄弟
3連休の初日。
午前11時頃、電話が鳴る。

かみさんの母親からである。

正月に行けなかったので、3連休に泊りがけで行くよ、と連絡しておいたのだ。
だから、義母とすれば、何をおいても朝一番でやって来るものと早呑み込みし、それがいつまでたっても来ないので、来る途中で何かあったのでは、と心配性の虫が騒ぎ出し、いてもたってもいられなくて確認の電話に及んだらしい。

「何だ、まだ、家を出てないの」とがっかりしたような声。
「待ってるから」と言って電話は切れた。


わが母もそうだが、幾つになっても親は子供のことを心配するものなのだ。

「早く行かなくちゃ」

とかみさんと顔を見合わせる。


愛犬のパールの世話があるので、実家にはかみさんだけが行くことが多く、夫婦で泊りがけで出かけるのは久しぶりである。

だから、義母に会い、その暮らし振りを見るのは久しぶりである。

そして、今年86歳になる義母は、しばらく見ないうちに随分と年を取ったな、と瞬間そう思った。

耳が遠くなり、ひざが痛んで歩行がままならないとのこと。
必然的に「会話」が疎くなり、行動範囲も狭くなる。

わが母と全く同じ状況であり、同じ環境である。

さらに言うなら、これまでずっと子供たちの「世話を焼いてきた」立場が、わが子の「代」になり、逆にわが子に「世話を焼かれる」立場に変ってしまっているのも、わが母と同じである。

わが母も義母も、他で暮らしている子供たちが帰ってくると、いそいそと座布団を出してきたり、お茶菓子をすすめたりと、それは、実に嬉しそうにかいがいしく世話を焼く。

そんな様子を見ていると、親とはいつまでたっても子の世話を焼いていたいのだな、世話を焼くことが心の「はり」につながっているのだろうな、とつくづく思ってしまう。

しかし、普段の生活では「世話を焼かれる」立場にいるのが現実である。
それは、言って見ればそれまで自分を支えてきた心の「はり」を実現する「場」が失われてしまっていることを意味する。

そして、親が子供たちが来るのを一日千秋の思いで待っているのは、帰ってきた子供たちの「世話を焼く」楽しみ、喜び、心の「はり」を自分の手に取り戻す機会がほんの一時ではあるが、めぐって来るからではないだろうか。

夕食が済み、家族団らんの一時、耳の遠い義母がいち早く席を離れ、一人テレビを見ている一回り小さくなった義母の後姿を見ながら、「世話を焼く」、「世話を焼かれる」と言うことについて、そんな思いをめぐらした次第である。

「元気」、「勇気」、「やる気」をもらう~平林寺歴代4住職の墨跡展

2009-01-10 | 趣味
数日前の新聞の地域版に

「平林寺新春展―無(MU)の心から―」が開かれていると言うニュースが小さく掲載されていた。

その記事によると、平林寺の明治から平成の歴代住職4人が書いた、だるまや観音図などを含む墨跡が一般公開されているとのこと。


昨年もそうだったが、リタイア後は外に出ることが少なく、とかく家にこもりがちな日々が多かったので、今年は意識して外に出ることを心がけようと思っていた矢先のこと、その手始めとしては、打ってつけかなと思って散歩がてらにのぞいて見た。


会場に一歩足を踏み入れた瞬間、墨痕あざやかに大書された「関」という文字が目に飛び込んできた。


「平林寺 第二十一世 峰尾大休(みねお だいきゅう、1860~1954)老師揮毫の「関(かん)」という文字。
横に張られた解説には、禅の厳しさを狭き門と表現した一語。
禅の関門はただではいかんぞ!やる気はあるか!とあった。



その気迫みなぎる雄渾な筆致に圧倒され、しばし見入ってしまった。


「平林寺 第二十一世 峰尾大休(みねお だいきゅう)住職が揮毫されたものです。この書をはじめ、平林寺に所蔵されている歴代の住職の墨跡が、こんな間近で見られるなんて滅多にありませんよ」


あまり熱心に見つめている小生を見て、会場につめていた係りの人が、そう説明してくれた。

確かにそのとおりで、他の3住職の揮毫された書や達磨、観音図などもそれぞれ個性にあふれ、その作品の一つ一つに、心洗われる思いがした。

                 
                 第二十二世 白水敬山(しろうず けいざん 1897~1975)
                 老師の達磨図
                 「直指人心 見性成仏」(自己の仏心・仏性に気づき、自らが
                 仏そのものであることを体得する意)


そして、この日は、この4人の住職の書や絵から

「元気」、「勇気」、「やる気」

の三つの「気」をもらい、身が引き締まる思いであった。

それは、小生にとって何よりの「お年玉」となった。



(写真は、係りの人が平林寺の了解を得た上で撮影)

「お家」断絶!?~母の心境を思いやる

2009-01-07 | 家族・母・兄弟
毎年1月2日には、母と長兄夫婦が暮らす実家に、他で暮らしている兄弟とその家族が集まることになっている。

92歳の母は、毎年、この日を楽しみに待っている。

今年は母と4人の兄弟とその家族、総勢10人が集まった。


何しろ大人数である。
最初のうち、あちこちに飛んで取り止めなかった話題も、お酒が回りだすと、落ち着く先はいつものことながら、我々4人兄弟の子供の頃の昔話である。

このところめっきり口数の少なくなった母は、にこにこしながら黙って子供たちの昔話を聞いている。

そんな昔話が一段落した所で、次の話題は近隣地域の話へ。

この地域も見た目には子供の頃と余り変わっていないように見えるが、古くからの家が新しく建て替えられたり、世代交代が進んだりとそれなりに変わりつつある。

そんな中で、今一番深刻なのは、農家の「後継者」問題、殊に農家の長男に「嫁」さんが来なくて、このままだと先々「家」が絶えてしまう恐れがあることなどが話題に上る。


そして、かく言う、わが実家も事情は同じなのである。
長兄の長男(小生にとっては「甥」)は、30代後半になろうとしているが、未だ独身である。

周りでは密かに気を揉んでいるのだが、これまでは余り触れて欲しくない様子だったので、深入りを避けていたのだが、今回は小生が、

「前の家のU子ちゃん、おれと同級生なんだけど、この間クラスで会ったら、<実家の甥っ子に嫁さんが来なくて、困っちゃうよね>と言ってたよ」誘い水をかけてみたのだが、長兄夫婦からは反応なし。


そして、この件に関して、口をつぐんで一切語ろうとしない母の心境を思いやった。


明治生まれの父は、自分の代で先祖の「墓石」を建立することを、終生の願いとし、その「悲願」を果たした年に病に倒れた。

そんな父に連れ添ってきた大正生まれの母である。
二十歳でこの家に嫁ぎ、父と共に築き上げてきたこの「家」が、このままいけば、先々、絶えてしまうことにもなり兼ねない、という事態に強い不安と深い悲しみを感じているに違いない。

母としては、この家に住んでくれるかどうかはともかくとして、孫(長兄の長男)が所帯を持って、何とか「当家」が存続するのをわが目で見届けたい、そして、あの世に行った時に、父にそう報告したいと言う思いが強くあるはずである。

それを思うと、今の母への最大のプレゼント=親孝行は、甥が結婚してくれることなのだが、こればかりは何ともしがたい・・・・・。


母は、以前から会うたびに「お前の所は、子供たちが早く所帯を持って、その上、孫にも恵まれていいやなあ」と言っていたが、その言葉にこめられた意味を今回ほど身にしみて感じたことはない。

「三男」と言う気楽な立場に生まれたせいだろうか、これまでは「家」だとか「お墓」といったことに余り関心を持たずに過ごしてきたが、この日は「家」や「お墓」というものの持つ意味合い、重みと言うものを思い知らされたような気がした。
そして、自分もそういうことを考える年齢になったのだ、としみじみ感じた次第である。

「家族団欒」の風景

2009-01-04 | 家族・母・兄弟

ウルトラマンのジグソー・パズルには、子供も大人たちも大興奮。


お正月の楽しみは、何と言ってもそれまで離れ離れに生活していた家族が一同に集うことである。

今年は1月2日から3日にかけて我がファミリー9人が全員集合した。

息子、娘夫婦に孫3人、それに小生とかみさんの総勢9人が顔を揃えるのは昨年のお盆以来である。

ハイライトは何と言ってもそれぞれの家族が用意してきたプレゼントの交換場面である。

「ウアッ、電車だ!」と2歳3ヶ月になった孫のKちゃん。

「スゲェ~、人生ゲームだ」と孫のK(小2)とS(小1)くんの二人。

プレゼントの中身がわかるたびに歓声が上がる。

そして、最高に盛り上がったのが、今、「ウルトラマン」と「怪獣」に凝っているKくん、Sくんが500ピースのウルトラマンのジグソー・パズルをお土産にもらった瞬間である。

大興奮した二人に、ただ今60ピースの「トーマス」のパズルに挑戦中のKちゃん(2歳3ヶ月)も加わって、それこそ「ハチの巣」を突っついたような大騒ぎで、テーブルにはウルトラマンのパズルのピースがあふれ出す。

孫3人に大人まで加わって、「ワイワイ、ガヤガヤ」と賑やかこの上ない。

そんなほほえましい情景をもっぱら撮りまくっている小生。

穏やかな、楽しい、そして、幸せな正月の家族団欒の一時である。


孫のS(小1)くんが、じいじにとその日見に行ってきた映画「ウオーリー」のイラストを描いてくれた。
手本も何も見ず、頭の中にあるイメージをそのまま描いたのだそうだ。
小生にとっては、今年の正月の良い記念になった。