折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「お家」断絶!?~母の心境を思いやる

2009-01-07 | 家族・母・兄弟
毎年1月2日には、母と長兄夫婦が暮らす実家に、他で暮らしている兄弟とその家族が集まることになっている。

92歳の母は、毎年、この日を楽しみに待っている。

今年は母と4人の兄弟とその家族、総勢10人が集まった。


何しろ大人数である。
最初のうち、あちこちに飛んで取り止めなかった話題も、お酒が回りだすと、落ち着く先はいつものことながら、我々4人兄弟の子供の頃の昔話である。

このところめっきり口数の少なくなった母は、にこにこしながら黙って子供たちの昔話を聞いている。

そんな昔話が一段落した所で、次の話題は近隣地域の話へ。

この地域も見た目には子供の頃と余り変わっていないように見えるが、古くからの家が新しく建て替えられたり、世代交代が進んだりとそれなりに変わりつつある。

そんな中で、今一番深刻なのは、農家の「後継者」問題、殊に農家の長男に「嫁」さんが来なくて、このままだと先々「家」が絶えてしまう恐れがあることなどが話題に上る。


そして、かく言う、わが実家も事情は同じなのである。
長兄の長男(小生にとっては「甥」)は、30代後半になろうとしているが、未だ独身である。

周りでは密かに気を揉んでいるのだが、これまでは余り触れて欲しくない様子だったので、深入りを避けていたのだが、今回は小生が、

「前の家のU子ちゃん、おれと同級生なんだけど、この間クラスで会ったら、<実家の甥っ子に嫁さんが来なくて、困っちゃうよね>と言ってたよ」誘い水をかけてみたのだが、長兄夫婦からは反応なし。


そして、この件に関して、口をつぐんで一切語ろうとしない母の心境を思いやった。


明治生まれの父は、自分の代で先祖の「墓石」を建立することを、終生の願いとし、その「悲願」を果たした年に病に倒れた。

そんな父に連れ添ってきた大正生まれの母である。
二十歳でこの家に嫁ぎ、父と共に築き上げてきたこの「家」が、このままいけば、先々、絶えてしまうことにもなり兼ねない、という事態に強い不安と深い悲しみを感じているに違いない。

母としては、この家に住んでくれるかどうかはともかくとして、孫(長兄の長男)が所帯を持って、何とか「当家」が存続するのをわが目で見届けたい、そして、あの世に行った時に、父にそう報告したいと言う思いが強くあるはずである。

それを思うと、今の母への最大のプレゼント=親孝行は、甥が結婚してくれることなのだが、こればかりは何ともしがたい・・・・・。


母は、以前から会うたびに「お前の所は、子供たちが早く所帯を持って、その上、孫にも恵まれていいやなあ」と言っていたが、その言葉にこめられた意味を今回ほど身にしみて感じたことはない。

「三男」と言う気楽な立場に生まれたせいだろうか、これまでは「家」だとか「お墓」といったことに余り関心を持たずに過ごしてきたが、この日は「家」や「お墓」というものの持つ意味合い、重みと言うものを思い知らされたような気がした。
そして、自分もそういうことを考える年齢になったのだ、としみじみ感じた次第である。

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