折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『結願(けちがん)』~先達を買って出た幼馴染に感謝

2008-07-14 | 日常生活

散華『花浄土』
3月18日から7月18日までの総開場期間中に納経した人に配布される各札所のお寺
の花が描かれた散華
総開場期間中に34箇所を巡ることができたのは、何よりであった
 

『いよいよ、今回で<結願>だね』
『そうだね、これで終わりかと思うちょっと寂しい気がする』

秩父34箇所札所めぐり『結願』の日、秩父へ向かう朝の挨拶はこんな会話で始まった。

4月16日、一番寺『四萬部寺』を皮切りに5,6,7月の3ヶ月をかけ、都合7回にわたって足を運んだ幼馴染との『秩父札所めぐり』の旅は、その日いよいよ『結願』の日を迎えた。
さすがに、挨拶にも感慨がこもる。

秩父へ向かう途中の峠道、この峠道を都合7回も通ったことになる。
最早見慣れた景色になりつつある。

『4月に来た時は、新緑が目にまぶしかったけど、もうすっかり深緑だね』と小生。
『たった3ヶ月だけど、季節が移ろう様が良くわかるよね』と相棒。

『家内がさ、<札所めぐりの日は1日も雨にならなかったね>って、言うから、当たりめえよ、おれたちには仏様がついてるんだ、と言ってやったんだ』と相棒。

『天気予報で、雨が降らない日を選んで行ったんだから、そんなに威張れた義理じゃないけど・・・』とまぜっかえす小生。

いつもの通り、車中は賑やかである。
特にこの日は、10月に計画している小・中学校の同級生の1泊旅行が長野方面と具体的に動き出し、相棒はその旅行の世話役をしていることもあって、その話題で盛り上がる。



札所めぐり必携『納経帳』 最終ページは札所34番『水潜寺』



札所34番『水潜寺』。
秩父34箇所札所めぐり最後の札所である。

本尊・千手観音様の前で、相棒と二人習い覚えたばかりの『般若心経』を心を込めて朗詠し、前日、精魂込めて書いた『般若心経』の写経を納めた。



『般若心経』の写経の一部
『写経』の世界に引き合わせてくれたのも、この札所めぐりの功徳の一つである



そして、二人してしばしこの3ヶ月間にわたった札所めぐりの旅に思いを巡らせた。

相棒は、自然からの恩恵(慈愛)は無限であり、素直な心に立ち返って観音様に向き合える時が得られた、と感想を語った。

小生には、残念ながらそこまでの心境には行き着くことができなかったが、真っ先に思ったことは、あえて先達役を買って出て、こんなにも貴重な体験をさせてくれた幼馴染への感謝の思いである。

自分一人では、何にもできない、物事を1歩も先へ進められない小生のこと、彼が誘ってくれなかったなら、多分、札所めぐりなどすることはなかったに違いない。

その意味で小生の背中を押してくれた相棒には、感謝の思いでいっぱいである。

また、札所めぐりの行き、帰りの車の中で交わした会話。
札所を巡る中で、のんびりと景色を眺め、歩きながら交わした会話。
心和む、自然の中で昼食を食べながら交わした会話。

これらの会話を通して『友がき』と共有することができた濃厚な時間は、何ものにも代えがたい喜びのひと時であった。

また、この3ヶ月秩父の自然の美しさと季節の移ろいを目の当たりにすることができ、心を癒された。こんなに大自然の中に身を置いたのは、初めてではないだろうか。
これも札所めぐりがもたらしてくれたご利益(りやく)ではないだろうか。



今回の札所巡りは、小生にとって子供の頃の遠足のようにその日が来るのが楽しみであった。
そして、その日は満たされ、心安らぐ1日となった。

そんな得がたい体験をさせてもらった幼馴染に最後にもう一度『ありがとう』、『楽しかった』の言葉を思いを込めて捧げたい。


これまで、目の前にあった一つの大きな目標がなくなった。
明日から、これに代わりうるほどの目標を見つけることができるだろうか、はなはだ心もとない話しである。

切磋琢磨~居合の同期の仲間たち

2008-07-11 | 武道
どこの世界にも、『同期の仲間』はいるものである。

居合をはじめて5年になるが、居合の世界にも『同期の仲間』と言える人たちがいる。

5年前に一緒に初段の審査を受験したAさん、Kさん、Nさん、Tさんである。

昇段審査には、県下あちこちから老若男女さまざまな人たちが集まってくるが、そんな中で、たまたま、年恰好が同じで、置かれている環境も似ていると言うこともあって言葉を交わしたのが、親しくなったきっかけであった。

そして、一緒に初段に合格して以来これまで全員が二段、三段と順調に昇段を重ねてきている。


小生が所属している埼剣連居合道部では、年4回『居合道講習会』、年3回『居合道大会』を開催している。

この講習会や大会で何回か顔を合わせ、一緒に稽古をし、試合をし、そして、その合間にそれぞれの稽古の様子などを話したりするうちにお互いに気心が知れて、すっかり打ち解け以後、彼らと顔を合わせるのを楽しみにするようになった。

この年齢になって『同期の仲間』なんて、何とも楽しいことであり、うれしいことである。

しかし、これら同期の仲間も一たび試合に臨めば『敵』であり、ライバルである。
その意味では、お互い良い刺激を受け、また、励みともなっているのであるが、皮肉なことに最近、試合で同期の仲間たちと対戦することが多くなった。



居合道大会の試合風景


先日も県下居合道大会があり、1回戦でAさんと対戦してしまった。
Aさんとは、前回の大会で2回戦で対戦し、負けている。
今回はそのリベンジのチャンスであったが、結果はまたしても完敗であった。

そこで、負けてしまった後は『見取り稽古』ということで、小生に勝って2回戦に進んだAさんの試合振りをじっくりと見ることにした。

そのAさんだが、2回戦、3回戦、4回戦と勝ち上がっていく。
見ていても、『また、今度も勝つだろう』と思わせる試合内容で、そこには精進の跡がはっきりと見て取れて、これでは今の自分の力ではとても及ばないと悟らされた。

また、隣の試合会場ではやはり同期の仲間の一人Nさんが勝ち進んでいた。
その試合振りを見て、Nさんもまた腕を上げているのが、よくわかった。


Aさんは準々決勝で、Nさんは3回戦で惜しくも敗れたが、二人とも持てる力を存分に出し切っていたように見えた。

そんな同期の仲間の活躍を会場の観覧席から見つめながら、ここにきて同期の仲間に『先を越された』、『水をあけられた』と強く感じた。

そして、日々の精進の積み重ねが、つもり積もるとこれだけの差となって表れてくるのだと思わざるを得なかった次第である。


来年は、いよいよ居合道を目指すものにとって最初にして、最大の関門である四段へのチャレンジが控えている。

同期の仲間たちも相当の意気込みを持ってこの高い壁に挑戦することだろう。
小生、目下同期の仲間たちの後塵を拝しているが、これからの1年間懸命に精進しなければ、本当に『落ちこぼれ』てしまう、と気持ちを新たにさせられた大会であった。

Oくんの『信念』、『情熱』、『勇気』に敬服

2008-07-08 | 友達・仲間
大学時代のサークル仲間で1年後輩のO君が『砂漠の預言者ベングリオン』という本を自費出版し反響を呼んだことについては、以前ブログで紹介した(2007・5・13『自分遺産』)

               
               O君が自費出版した著書
               『砂漠の預言者ベングリオン』


そのO君、ベングリオンへの思い止みがたく、ついにはその思いは、O君をしてベングリオンへの『追体験』へと駆り立てたようで、彼がイスラヘルへ向かったのは3ヶ月前のことであった。

そのO君から先週末、『無事戻ってきました』とのメール。

長い長いメールの行間から、前回の著作に続き、またもや今回エポック・メーキングな試みをやり遂げたという『喜び』、『達成感』そして『自負』が溢れていて、いかにもO君らしいと思わず微笑んでしまった。



6月6日ネゲブ砂漠 キブツ・スデー・ボケルから送られてきたO君のはがき
びっしり書き込まれた文章に、彼の意気込み、自負が垣間見える



メールによると、約3ヶ月のうち最初の2ヶ月は、北のキブツ・ヘフチバでヘブライ語の特訓と労働と家庭訪問を通じて開拓者魂を学んだとのこと。
また、エルサレムで開催された『建国60周年記念式典』に出席したとも書かれていた。

後半の1ヶ月は南のネゲブ砂漠にあるベングリオンが住んだキブツ スデー・ボケルでベングリオンの『追体験』を身をもって体験したこと、砂漠のど真ん中にあるベングリオン大学ネゲブキャンパスの教授達から砂漠の農業、太陽エネルギー発電、排水の再使用等の話も聞くことができ、また、実験場、試験農場、排水処理施設も見学させてもらえる機会に恵まれたことなどが事細かに書かれていた。

それにしても、慣れ親しんだ安全で心地よい日常の世界を離れ、幾多の困難と危険が予測されるイスラエルの砂漠での3ヶ月もの生活という非日常の世界にあえて飛び込んで行ったO君の決断力=勇気には正直、改めて驚かされた。

そんなO君は、小生にとって

『信念の人』であり、『情熱の人』であり、『行動の人』であり、そして『勇気の人』である。

そして、小生にはどれ一つとて備わっていない資質であり、その意味では、小生にとって『羨ましい人』であり、小生の『対極にいる人』でもある。

メールによるとO君は、この3ヶ月のイスラエル滞在で膨大な資料を収集し、持って帰って来たらしい。

前作『砂漠の預言者ベングリオン』に続く著書が上梓されるのも、そんなに遠くないに違いない。

めぐり、めぐって

2008-07-05 | 家族・母・兄弟
常日頃、娘夫婦には毎月高い家賃を払うより、手ごろな物件があったら思い切って買った方がいいよ、と言ってきた。

その娘から、1年ほど前に契約したマンションが完成し、入居することになったと言う話を聞いていたので、そのうち『お金、貸して』ということになるだろうと予想していたら、かみさんに話しがあった。
「やっぱりな」と思った。


そして、今から38年前に田舎に住むおやじさんとおふくろさんに結婚の報告に行った時のことを懐かしく思い出した。


当時、小生は会社に勤務して4年目の27歳。
結婚するというのに、預貯金はゼロ、結婚式の費用さえなかった。(お金はすべて当時夢中になっていた『オーディオ』と『レコード』に化けてしまっていた)

おやじさんが言った。
『所帯を持つのでは、住む家がいるな。どうせ、お金はないんだろう。そっちの方は、何とかしてあげるから家を探がしな』と。

かたわらで、おふくろさんが言葉を添えた。
『おとうさんの退職金があるから、お金を貸してあげられるんだよ。おとうさんに感謝しなくてはね』

その時は、運良くというか、たまたま、おやじさんが長年勤めた教師の職を辞めて、退職金が手元にあったのだ。

当時は、自分のことを考えるだけで精一杯で、退職金がおやじとおふくろ二人の老後の生活の支えとして大切なお金であることには思い至らず、「結婚後の生活はアパート暮らしが関の山」と覚悟していた小生にとって、信じられないほどありがたく、嬉しい話であった。


そして、その時に借りたお金で小さな中古の家を買った。(その後、その家を処分して今の家を購入した。)
その家がわれわれ夫婦の生活の原点となった。

あの時、あの小さな中古の家を買っていなかったら、甲斐性のない小生のこと多分、戸建の家を持つことはできなかったことだろう。

そう考えると、今の恵まれた生活があるのは、あの時、おやじさんとおふくろさんが、自分たちの老後の備えである退職金をわれわれ二人の新生活のために貸してくれて、生活の足場とも呼べる『自宅』を手に入れる援助をしてくれたお陰であり、おやじさんとおふくろさんには感謝の言葉もない。

あれから時が流れ、めぐりめぐって今度は自分が親としておやじさんと同じように自分の退職金の一部を娘夫婦に貸す立場になった。
そのめぐり合わせに今、感慨を新たにしている。

そして、結婚し、親となって、同じような立場になってはじめて、おやじさんとおふくろさんの気持ちがちょっぴりわかったような気がして、『親の思い』はいつの時代も変わらないものなのだ、と改めて実感した次第である。


今日、7月5日はブログを書き始めて満2年目に当たる。
そして、231回目の投稿である。

写真が主役VOL13 『動』と『静』の世界

2008-07-02 | 写真が主役シリーズ

仮標(巻きわら)を真剣で袈裟に切り下ろした場面


先日、地元の琉球古武術団体が主催する演武大会が行われた。
毎年開催されていて、今年は20周年記念大会ということで、地元の道場の他大阪・貝塚市、群馬・高崎市からも愛好家が参加し、華を添えていた。

小生が所属する『抜刀道』同好会も招かれてメンバー5名が参加した。


琉球古武術は見るのは今回がはじめてであったが、抜刀道と比べていくつか気付かされる所があった。



琉球古武術の演武は、生身の人間が相手
抜刀道の演武は、物言わぬ静止した仮標(巻きわら)が相手


琉球古武術の演武は、集団演武が多い
抜刀道の演武は、個人演武

琉球古武術の演武は、裂帛な気合がお腹にズシンと響く
抜刀道の演武は、気を内にためた無声の気合が張りつめる

琉球古武術の演武は、激しく、厳しい『動』の世界
抜刀道の演武は、『静』の世界。音といえば、真剣が巻きわらを両断する時の、ブスッというわずかな音のみ



琉球古武術の激しくも厳しい演武


このように、見た目だけでも琉球古武術の演武と抜刀道の演武は対照的な違いが見られる。

われわれ5人のメンバーは、琉球古武術大会という『動』の大会にあって、抜刀道の持つ『静』の世界の一端をお見せすることができたのではないかと、いささか自負しているところである。