折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『健康』、『孫』、『グチ』~クラス会での3大話題

2008-03-13 | 友達・仲間
クラス会も色々あるが、幼なじみが集う小・中学校のクラス会は、また格別なものがある。

わがO小・中学校のクラス会は、この6年毎年3月に開催されている。
今年のクラス会もつい先日に行われ、1年ぶりの楽しい一時となった。

この種の集まりでの話題と言えば、『健康』のこと、『孫』のことそして日常生活のつもり積もった『グチ』のことに大体相場が決まっている。

そして、年をとるにつれて『グチ』の話しが増えてくる。
今年も『グチ』の話を何人ものクラスメートから聞かされた。

いずれの話しも、心当たりがあるものばかりであるが、その内から思わず膝を打ってしまった話をいくつかご紹介したい。

Aくんの話

『いやあ、実はね、テレビなんか見てて、かみさんに話しかけられる時があるんだけど、そんな時上の空の返事をして、かみさんに<人の話、聞いてないでしょう>といつも怒られるのよ。ところがね、今朝テレビを見てたら、女の人は二つのことを同時にできるけど、男の方は一つのことしかできないんだって、それは、女と男の脳の仕組みの違いなのだと言ってるじゃない。だから、おれかみさんに言ってやったんだ、おれのせいではないんだって、男と、女の脳の違いのせいなんだってさ、と。いやあ、少し溜飲を下げたよ』

(そんな説、ちっとも知らなかった。『目から鱗』、納得、納得。)

Bくんの話

『いやあ、子供が独立して外に出ちゃってよ、最近はかみさんと二人きりさ。何にも話題がなくてよ、この間とうとう犬を買ってきちゃったよ。今じゃあ、犬を介して何とか意思疎通が成り立ってる有様さ。それでさ、散歩はおとうさんの健康にいいから、お願いねと言って、自分は夜、ワン公と一緒に寝てるよ、世話ないやね』

(『子はかすがい』と言う言葉があるけど、『犬もかすがい』だね。我が家の愛犬パールは、もう7年もその役割を果たしているのか・・・。)

Cくんの話

『お前のとこ、それでも犬がいるからいいじゃん。おれんとこは、二人きりで毎日顔を突き合わせてるんだから、気が詰まるってもんじゃあないぜ。今日出かける時、かみさんに昼飯も夕飯もいらないよと言った時のやっこさんの嬉しそうな顔ったらなかったよ』

(おれの所は、昼間はまだおれ一人だから、恵まれていると言うべきか?)

まあ、この3人の話は、話半分で聞くとして次のDくんの話は、シリアスで身につまされる話しである。

Dくんの話

『俺、海外での単身赴任が長かったのよ、だから、リタイアしてかみさんと一緒に生活するようになったら、それはそれは窮屈でね。身の置き場がないのよ、うっとうしくてかなわんなと思っていたら、そのかみさんがこの間、突然倒れちゃってね。大手術をして、結果的に命は取り止めたんだけど、今、リハビリ中でね、いつもはうっとうしいやつだと思ってたけど、口うるさくてもかみさんは元気でいてもらわないとね、いや、今、参ってるのよ』

そして、Dくんはあれほど大好きな二次会のカラオケ大会にも顔を出さずに、そそくさと帰っていった。


           
                 二次会のカラオケ大会は大いに盛り上がった


二次会のカラオケ大会は、日頃たまった不満の『ガス抜き』の場であると言っても過言ではない。

一部の女性陣が帰ったものの、一次会のほとんどのメンバーが新しい曲から、懐かしい曲まで歌いまくり、大いに盛り上がってそれぞれが日頃の鬱憤を晴らしていた。

その場に、昨年マイクを独り占めしていたDくんの姿がないのが少々物足りない。
『Dくんも歌いたくってしょうがなかったんだろうけど、さすがに今はその気にならないんだろうね』

と隣にいるE子ちゃんに話しかけると、

『それはそうでしょうよ。日頃は、みんなが言ってるように夫婦と言ったって、お互い空気のような存在だけど、いざと言うときに助け合わなければ、夫婦じゃないよね。カラオケに来るようだったら、説教してやろうと思ってたんだけど・・・、Dくん奥さんを愛してるんだ』
と言う答えが返ってきた。

カラオケ大会は、クラス会のエンディング曲となっている『青春時代』を全員で合唱して三次会へ。

そして、三次会は食事会。お開きになるまでのしばしの別れを惜しむ場となっている。
みんなこれから、否応なく、また、現実の世界に戻っていくことへのためらいなのだろうか、誰も席を立とうとしない。

やっと、重い腰を上げたのは午後9時半過ぎ、一次会の始まりが午後12時半であったから実に9時間に及ぶ今年のクラス会は、来年の再会を約してお開きとなったのであった。

『足し算』の世界~1回、1回を積み重ねて200回

2008-03-09 | ブログ
大リーガーのイチロー選手は、7年連続して『200本』安打を記録しているが、同選手は数ある目標の中で、この200本安打を最も重視していると言う。

当然のことながら200本は、1本、1本のヒットが積み上がった結果、否、1本、1本積み上げていくしか他に方法がない、言わば足し算の世界の話しなのである。

その気の遠くなるような足し算の世界を、1年また1年と続け、それを7年も続けているのだから本当に『スゴイ!』と思う。


小生のブログも、本日で200回に達した。

こちらも1回、1回の積み重ねが積み上がっての、言わば足し算の結果としての200回であるから、『足し算の世界』の話として、おこがましい話しながら、イチロー選手の200本安打と共通項があるのではないかと思っている次第である。


初めてブログを書いたのが06年7月5日であったから、実に580日をかけてようやく200回目に到達したことになる。


ブログを書くきっかけとなった<NHK趣味悠々・中高年のためのパソコン
講座『ブログに挑戦して見よう』>のテキスト


この間、ブログの内容も、書く目的も当初の頃と少しずつ変化してきているように思う。

当初はリタイア後の生活を豊かにすると言う意味での一つの新しいチャレンジであり、書く内容も自分の好きな趣味のことやこれまでの人生でのエピソードなどが中心であったが、それに孫たちや家族の話が加わり、最近では日常生活のちょっとした出来事、たわいない会話などを取り上げることが多くなってきている。

と言うのも、ともすれば一昨日食べた夕食のおかずを思い出すのもままならないことがよくあるように、日々の出来事はあっという間に記憶から零れ落ちていく。そんな現実を前にして、このまま手をこまねいていていいのだろうか、来し方を振り返る「よすが」を何らかの形でとどめておきたい、と最近痛切に思うようになって来た。

最近、日常生活に意識的に目を向け、ブログで取り上げるようになったのにはそんな思いがあるからに他ならない。

来し方を振り返る「よすが」を記録としてとどめること、目下それがブログを書く一つの大きな目的になっている。


ブログを書いていることは、家族、親戚、友人などには知らせている。


先日、中学時代のクラス会があった。

その席上、何人かに「ブログ見てるよ」、「良く続くね」、「これからも頑張って」と声をかけられた。
また、「昨日もブログで会ってるから、久しぶりなんて思えないわよ」と言ってくれた幼馴染もいた。

何とも嬉しい限りであり、こういう時はブログの持っている情報発信機能の凄さ、素晴らしさを改めて実感する。

これからもブログを通して「元気でやってるよ」ということを発信し続けていけたらいいな、と念願している。

ブログを通じて『近況』を発信し続けること、それがブログを書くもう一つの目的である。

今は、この二つがブログを書く大きな目的になっているが、この目的もその時々に応じて変化していくものと思う。

いずれにしても、これからも1回、1回『足し算』の世界を続けていけたらいいなと念願している次第である。

明るく、温かく、つややかに~ヴァイオリニスト上野真理さんのホーム・コンサート

2008-03-05 | 音楽
いくつかある趣味の一つに音楽を聴くことがある。
若い頃はクラシックオンリーであったが、今ではジャズやポップス、演歌など色々なジャンルの音楽を聴いて楽しんでいる。
その音楽好きな小生には、叶えたいささやかな願いが二つあった。

その一つは、わが国を代表するコンサートホールの一つである『サントリーホール』でのコンサートを聴くこと。

もう一つは、これと全く逆に一般家庭での少人数によるホームコンサートで、目の前でヴァイオリンやチエロなどの弦楽器の生の演奏を聞くこと。

もっとも、サントリーホールに関してはその気になればすぐにでも叶うことであり、望みというには少し大げさすぎるかもしれない。事実、先日弟に誘われて諏訪内晶子さんのコンサートに行って来た。(2月13日付けブログ)

しかし、一般家庭での少人数での生演奏会となると、ことはそう簡単にはいかない。
それだけに昨年の暮れ、その年最後のオーディオ談笑会の席で主宰者のKさんが『来年早々にはこのリスニングルームでヴァイオリンの生演奏を楽しんでもらう企画をたてているので期待して』という予告を聞いた時は、小生の望みが叶うと大いに喜んだのであった。

しかし、年が明け1月の中旬を過ぎても一向に音沙汰がないので、もうだめかなと半ばあきらめかけていたところにKさんから待ちに待ったメールが入った。

メールには、『新進気鋭』、『若手美人ヴァイオリニスト』といった言葉を書き連ねて演奏者の『上野真理』さんを紹介していた。

早速、インターネットで『上野真理』さんを検索する。

すると、何と小生が住んでいる埼玉県A市からさほど遠くないF市に住んでいて、我が家から歩いて10分ほどのところにあるM音楽教室でヴァイオリンを教えている、とあるではないか。何とまあ、「世間は広いようで狭いものだ」とつくづく実感した。

また、ネットには彼女が書いているブログもあった。
早速のぞいてみると、『飲みすぎちゃってご免なさい、反省してます』などという文章も掲載されていて、飾らない人柄に好感がもてた。そして、同じブログを書くもの同志として親近感を覚えて、演奏会の日がますます楽しみとなった。



演奏会場となるKさんのリスニングホールは広さがおよそ20畳ほどで、数次にわたる改装・改良を重ねて、一般家庭としてはこれ以上望めないほど立派なホールに生まれ変わっている。

この演奏会に集まった人たちは小生を含めて15名。
Kさんの「音楽を通じて地域のコミュニケーション活動に貢献したい」と言う「夢」を支援してくれているご近所の奥様や区の担当者の方々である。

Kさんによれば、この人たちから「口コミ」の輪が広がったとのこと。今回の生演奏会をきっかけにさらにこの輪があちらこちらで開花すれば、と期待していると喜びのほどを語ってくれた。

        
        明るく、温かい、そしてつややかな音色で
        ヴァイオリンの素晴らしさを堪能させてくれた
        上野真理さん

定刻になって上野真理さんがにこやかに登場。

20畳の広さがあるといっても、実際は演奏者と聴衆が目と鼻をつき合わせるほどの距離である。これこそ、小生が思い描いていた理想のスチエーションである。


オープニングは、エルガーの『愛のあいさつ』で始まった。

明るく、温かく、そしてつややかなヴァイオリンの調べに乗って、聴きなれたお馴染みのメロディがホールいっぱいに紡がれて行く。

瞬間、『ああ、これが生のヴァイオリンの音なのだ』と感動する。

そして、今までこのホールでタンノイのスピーカーで再生されたヴァイオリンの音を何度も聴いているけど、生演奏の音とオーディオ装置で再生される音とは『異質』なものだということを再認識した。

また、上野さんが選曲されたプログラムの中には、本来は伴奏がある曲を無伴奏で演奏したが、その演奏を聴きながら伴奏が入らないことで逆に伴奏の役割について認識を新たにした。

今回のコンサートの聴き所は、ヴァイオリンのテクニックが存分に発揮されたファリアの「スペイン舞曲」とクライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」であった。

すぐ目の前で彼女の左手がヴァイオリンの弦の上をあたかも魔法の指のようにめまぐるしく動き回り、右手の弓の操作と相俟って高音から低音までの音色の変化を自在に操るテクニックの妙にすっかり魅了された。

演奏会は1時間ほどで終了したが、この時間は何とも贅沢で、満ち足りた至福の一時となった。

このような雰囲気でのホームコンサートを聴ける機会は、多分そんなにないだろう。
それだけに、Kさん宅にまでわざわざ足を運んでいただき、ヴァイオリンという楽器の素晴らしさを堪能させてくれた上野真理さんには心から感謝申し上げると共に、これからのますますのご活躍をお祈り申し上げます。
また、今回このような貴重な体験の場を作ってくれたKさんに厚くお礼を申し上げる次第である。

Kさん宅を辞する時、玄関の横で咲いていた紅白二本の梅の木から匂うように梅の香りが漂っていた。

「ああ、もう春だな」と春の到来を実感し、幸せな気分を満喫しながら帰路についた。



上野真理さんを囲み当日集まった皆さんとの記念写真



当日のプログラム

エルガー 愛のあいさつ

クライスラー ベートーヴェンの主題によるロンディーノ

ベートーヴェン ロマンスへ長調

ファリア  スペイン舞曲

ヴィバルディ  四季から「春」

クライスラー レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース作品6


上野真理さんのプロフィール

桐朋女子高校音楽科を経て、桐朋学園大学卒業。その後、ウイーン国立音楽大学に留学。
在学中、「多摩フレッシュ音楽コンクール」弦楽器部門入選、江藤俊哉ヴァイオリンコンクール第1位 入賞、神奈川フィルハーモニーとコンチェルトを協演、東京文化会館新進演奏家デビューコンサート等に出演。
2004年、和光市文化振興公社の主催でリサイタルを開催。スィートベイジル STB139(六本木)のクラシックライブや(財)地域創造の公共ホール活性化事業等に参加、幅広く演奏活動を行なっている。

上野真理さんのブログ

http://blog.goo.ne.jp/musicinfo/

写真が主役VOL8 『雑草魂』~真横に伸びた小さな生命(いのち)

2008-03-02 | 写真が主役シリーズ

上に伸びられずに真横に伸びた、全長わずか7センチほどのぺんぺん草



朝の愛犬パールとの散歩コース。
家に戻る途中で東上線に架かる陸橋がある。

いつものように2段上がりで階段を上がっていくと、丁度真正面の位置に階段のコンクリートのわずかな隙間に咲いているぺんぺん草を見つけた。

花粉がどこからか風にでも運ばれて来たのだろうが、そこは上に伸びる余地は全くなく、そのぺんぺん草は何と真横に茎を伸ばして咲いているのであった。

こんな場所でも精一杯生きようと頑張っているぺんぺん草のけなげな姿に『雑草魂』の真骨頂を見る思いで、心を動かされ、思わずカメラのシャッターを切っていた。

その真横に伸びたわずか7センチほどの小さな、小さなぺんぺん草が本日の主役である。



その姿を見て数日前、朝日新聞のコラム「ひと」欄に掲載されていた『65歳からの著書が130冊、なお書き続ける禅僧<松原泰道さん(100)>』の記事に書かれていた文章を思い浮かべた。


記事は、モットーは『生涯現役、臨終定年』。昨年11月に100歳になったと冒頭で人となりを紹介し、さらに次のようなコメントを載せていた。

よく見ればなずな花咲く垣根かな

芭蕉のこの句が好きだ。「ひっそりと咲くぺんぺん草。それに気づけば感動がある。凝視すれば、何かの真理を読み取ることもできるはず。こころの受信装置を敏感にしておきたいものです」 (以下略)


この言葉を思い起こさせてくれたその日の朝の散歩は、収穫の多い、そして清々しい気分にさせてくれた散歩となった。



            
この階段の下から3段目の所にぺんぺん草は生えている