『蝶』~能登の海岸でかみさんが拾い集めてきた『さくら貝』
蝶の形をした小さなさくら貝がとても可憐で可愛い。
『はい、お土産よ』
3泊4日の旅行から帰って来た、かみさんがやわらかな和紙にくるんだ小さな包みを大事そうに開いた。
中から現れたのは、ピンク色をした貝殻の小片。
『知らないでしょう、さくら貝よ』
今回の旅行先の能登半島の海岸で拾ったとのこと。
『へえ~、これがさくら貝か』
と、はじめて見るさくら貝に見入った。
訪れた能登の海岸は、予想に反して風もなく暖かで、日本海というよりも太平洋といった印象だったそうである。
そういう陽気に誘われて海岸を散策している時に集めたのだそうだ。
そして、いっぱい持ち帰ってきたさくら貝の中で一際目を引き、かみさんが自慢したのが今回の主役である『蝶』のような形をした小さなさくら貝である。
わずか15ミリという小さな貝を良く見つけたものだと、その観察眼の鋭さに感心した。
さくら貝という言葉を聞いて、小生が真っ先に思い浮かべるのは子供のころに実家のラジオから流れていた『さくら貝の歌』という曲の歌詞である。
うるわしき さくら貝ひとつ
去り行ける 君にささげん
この貝は 去年(こぞ)の浜辺に
われひとり 拾いし貝よ
(土屋花情作詞/八洲秀章作曲)
この歌が作られたのは、昭和24年7月。
当時は、ラジオが唯一の娯楽であり、いわば『ラジオの時代』であった。
そして、NHKの『ラジオ歌謡』が幅広く大衆に支持された時代でもあった。
小生は、その頃は小学校に上がるか、上がらないかぐらいの年頃であったが、母や二人の兄たちが口ずさんでいたラジオ歌謡を聴くとはなしに聴いていて、いつの間にか覚えてしまっていた。(子供の頃の兄貴たちの影響は絶大である。)
この『さくら貝の歌』もその中の一曲であり、そのロマンチックなメロディーが幼心の片隅に一片の記憶を残してくれたのだろうか、長じた後もこの歌は古き良き時代の思い出として、今も小生の愛唱歌となっている。
思いがけなくも、さくら貝の実物をはじめて見て、手に触れて、幼い昔イメージしていた『さくら貝の歌』の歌詞とを重ね合わせて、感慨を新たにした。
かみさんは、小生のためにこのさくら貝を持ち帰ったわけではないが、それでも、懐かしい昔を思い出させてくれたかみさんには感謝である。
コーヒーを飲みながら、バリトン歌手の福島明也さんが歌う『さくら貝の歌』、『あざみの歌』、『山のけむり』など当時一世を風靡したラジオ歌謡を聴くと、まだ幼かった頃が懐かしくよみがえってくる。
ラジオ歌謡しかり、そして『笛吹き童子』、『紅孔雀』と言った物語の世界、ラジオを聴きながら空想の世界を駆け巡ったあの頃が今も思い浮かぶ。
まさに、あの当時は『ラジオの時代』であった。