折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

続・『おやじの背中』

2007-03-04 | 家族・母・兄弟
<おやじの生き方>


おやじの人柄や生き方を端的に表すキー・ワードは、

『清廉潔白』、『実直』、『一途』、『頑固』、『優柔不断』

『お人好し』、『世渡り下手』、

この性格、生き方についておふくろや長兄は少々不満だったようだ。特に、まだ若かった当時の長兄は、『俺は、おやじのような生き方は、絶対しない』と反発していたのをよく聞いた。

『世渡り下手』について、おふくろに言わせれば、『物には、限度と言うものがある。世の中自分だけで生きてるわけじゃあないんだから、たまには上司の人に<お歳暮>や<お中元>ぐらい贈ったら』と何度言っても、決して『付け届け』をしなかったとのことである。
とにかく、人に『阿る』、『おべんちゃらを言う』、『ご機嫌を取る』と言うことが大嫌いで、事実それをしなかった人であった。(どうも、このDNAは小生が色濃く受け継いだようである・・・。)

『それはそれでいいんだけど、もうちょっと限度を弁えてくれたらといつも思ったよ。だけど、これも性分だからしょうがない、と終いにはあきらめちゃったけどね。』

これもおふくろの弁である。

『お人好し』で『世渡り下手』で平凡だったかもしれないが、その人生を限りなく自分に忠実に、精一杯生き、ご近所のみなさんから『仏の先生』と慕われたおやじの人生を息子として、大いに誇りに思っている。


<おやじの生きがい>


おやじは多趣味の人ではなかったが、「旅行」、「お酒」、「将棋」そして「大相撲」が大好きだった。

旅行は晩年、あちこちに出かけていたようであるが、明治生まれのおやじは、シャイなところがあって、おふくろと二人だけでの旅行は決してしようとしなかった。

『二人で出かけよう、一緒に連れてってと誘っても決して言うことを聞いてくれなかったんだから』

と言う、おふくろの『ぼやき』をよく聞かされたものである。

お酒は、決して強い方ではなかったが、とにかく大好きで最晩年の頃は、『朝』、『昼』、『晩』湯飲み茶碗でお茶代わりに飲んでいたらしい。

将棋も決して強いとは言えなかったが、これも大好きで、我々息子たちが帰省すると、将棋盤を持ち出してきて、にこにこしながら『どうだ、いっちょやるか』とおもむろに駒を並べるのが常であった。
最晩年に兄弟4人が代わる代わるおやじの相手をした対局が、忘れられない一番の想い出になっている。(2006・9・01ブログ「オヤジVS息子たち」)

テレビも大好きで、特に大相撲が大のお気に入りで、それこそ食い入るように一番一番に力を入れて観戦していた。

おやじが亡くなったその日も、おやじとおふくろは一緒に大相撲中継を見ていたとのこと。

そして、中継が終わりに近づき、おふくろが『おじいさん、夕飯にしようかね』と台所にたった直後に心筋梗塞の発作が起きて、息を引き取ったのである。

大好きな大相撲を見ながら、眠るように逝ったおやじ、誰もが望んでも叶えられるとは限らない、あのような『穏やかな最後』を迎えることが出来たのは、その人生を自分に限りなく忠実に、精一杯生きたことへの神様が与えてくれた、優しい『思いやり』=『ご褒美』だったに違いないと固く信じて疑わない。


おやじが亡くなって今年で16年目。
今、やっとおやじを偲ぶ一文を書くことが出来て、何かほっと肩の荷をおろした気がしている。

おやじの冥福を改めて心から祈りたい。