折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『偶然』の不思議さ

2007-03-15 | 日常生活
このところ『偶然』がもたらす「出会い」の不思議さを何回か経験している。

今回も『偶然』がもたらした不思議さについての話である。


ざっと目を通し終わった新聞を、もう一度読み直していると、ふとある全面広告に目が止まった。
普段は広告など見ることもないのだが、この日はどうして広告などに目が行ったのか、しかも、よりによって白抜きの小さな字で綴られた目立たない文章に目が行ったのか何とも不思議であるが、ともかく、何気なく目がそこに行き、そして何気なく広告のコピーを読み出していた。

読み進むにつれ、『ぞくっ』と来て、あとは一気に読み終わっていた。
そして、全部で3回読んだ。最初は、前述のとおり一気に、2回目はじっくりと、そして3回目は何度も心のうちで大きくうなずきながら。
まさに、『わが意を得たり』と言う文章に出会ったのである。
そこには、小生が目標としている、お手本とすべき、一つ理想の文体がそこにあった。
少々長くなるが、その全文を掲載させていただきたい。


乾杯のコーヒー



千円札を出して、おつりも受け取らずにタクシーを飛び降りた。

間に合うだろうか。

いかにも営業マン風の僕を、一瞬、守衛さんが呼び止めようとしたふうにも見えたけど、
二十段ほどの階段を二段抜かしで駆け上がって、中庭を抜け、旧校舎を目指した。

三階の五十二番教室。息を整え、真鍮の取っ手をゆっくり押す。

よかった。間に合った。

最後列にそっと腰掛ける。午後の光が、ゆるい弧を描く机に反射して大教室を満たしている。

淡々とチョークの音が響く中、顔を上げている学生はわずかで、
数名は机に伏して昼寝をしている。起きている学生、メールのやり取りに余念がない。

僕は、胸が締めつけられた。

・・・・最後なのに


午後四時十五分。教室の隅で賑やかな着メロがなり、
同時に、四限の終わりを告げるチャイムが響いた。
そそくさと立ち上がる学生たちに向かうでもなく、教壇から、短い挨拶があった。

『えー、私は定年なので、これで最後の授業になります。皆さん、ありがとう。」

え?という顔の学生たちが数人、足を止めた。ぱらぱらとまばらな拍手が起きた。

北校舎、1階。短くノックして研究室に入ると、
書籍の山の向こうから、父が覗いた。

「なんだ、お前、来てたのか。」

「授業・・・聴いたよ」

父が古びたカップを二つ取り出した。
僕は、本立てになっていたゴールドブレンドを入れた。

「お疲れ様」

「ありがとう。」

父の笑顔と、あの日の乾杯を、僕は一生忘れない。

いつか、自分もそんなコーヒーを味わえたらと思う。

(3月15日付け朝日新聞より引用)

ブログを書くようになってから、新聞のコラム欄や投書欄を丹念に読むようになった。
その書き方、物の考え方が大いに勉強になり、刺激になっている。

それにしても、今日の収穫の何と大きかったことか。
今朝の何気ない『偶然』がもたらしてくれた贈り物に感謝である。

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