墓前にブログを印刷して供えた
明治生まれのおやじが、何よりも大事にしたのは『家の存続』と『家長としての責任』であった。
その象徴が『お墓』であった。
『お墓を守り、子孫に引き継いでいくこと』が自分の責任であり、『俺の時代に必ず墓石を建立するんだ』と口癖のように言っていた。
それだけに、子供たちの教育にお金がかかり、墓石の建立どころでない現実をいつも気に病んでいたようだ。
おやじにとって、お墓の建立こそはまさに『悲願』であった。
子供たちが一人立ちしたのを機会に、おやじの『悲願』は成就したのであるが、その披露の席でまるで子供のようにはしゃいでいるおやじの嬉しそうな姿は、今でも瞼に焼きついている。
満面に笑みをたたえ、上機嫌で招待客にお酒を注いで回っているおやじの後姿には、ようやくにして『宿願』を果たし、肩の荷を降ろした安堵感が漲っていた。
そして、張り詰めていた緊張の糸がプッツリと切れてしまったかのように脳溢血で倒れてしまったのは、この披露宴が終ってから間もなくのことであった。
今日は、彼岸の中日である。
おやじが建立した墓石の前に手を合わせ、ブログ100回目と101回目を印刷して、墓前に供えた。
今夜当り、夢でおやじが『読んだよ、ありがとう』とでも言ってくれれば、最高なのだが・・・・・・・。