話題作を書き続ける加藤 廣が、あの剣聖宮本武蔵の巌流島以降を取り上げた『求天記―宮本武蔵正伝』を読み、久々に読書の楽しさ面白さを満喫、充実した気分を味わったのに触発されて、しばらく中断していた図書館通いを再開、この半月ほどで塚原卜伝、林崎甚助、宮本武蔵といった剣聖ものをハシゴ読みした。
『武蔵円明の光』(好村兼一著 角川学芸出版)(左)、『神速の剣』(近衛龍春著 PHP研究所)(中)、『卜伝』(小島英記箸 日本経済新聞出版社)(右)
先ずは、剣聖塚原卜伝を描いた『卜伝』(小島英記箸 日本経済新聞出版社)
生涯数多の真剣勝負や合戦に臨んで一度も負傷しなかったという伝説的な剣豪・塚原卜伝。
その卜伝が初めての廻国修行に出て、謀略渦巻く幕府の権力闘争に巻き込まれて、多くの闘いを繰り広げる。
若き日の卜伝を描いたストーリーであるが、幕府内の権力闘争の描き方が煩雑で、主役の卜伝の影が薄く、中途半端、新味も感じられず正直ちょっとがっかりであった。
次に居合の始祖林崎甚助を取り上げた『神速の剣』(近衛龍春著 PHP研究所)
林崎甚助が、闇討ちにあった父の仇討ちを果たし、再び廻国修業の旅に出るまでの若き日の居合の始祖を描いたおなじみの物語である。
身体も小さく、ひ弱な民治丸(林崎甚助)が、ひたすら仇討だけに通用する剣を修業中、神託を得て『居合い』という全く新しい剣術を編み出し、前途に横たわる様々な障碍を克服して、本懐を遂げるというストーリーは、居合を志す者にとっては周知の事実で、特に新味は感じられなかった。
資料によると仇討成就の後、諸国を廻国修行し、幾多の弟子を育てたとある。また、70代にして諸国へ再度廻国修行に出て、その後の行方は知れないという。
小生としては、林崎甚助が仇討以降どう居合を極めて行ったのかに強い関心があったので、これから廻国修行時代のエピソードを取り上げた本はないか、探そうと思っているところである。
3冊目の本は、加藤 廣の『求天記―宮本武蔵正伝』と同じく宮本武蔵の巌流島以降を取り上げた『武蔵円明の光』(好村兼一著 角川学芸出版)
著者紹介によると、著者の好村氏は東京大学在学中に全日本剣道連盟派遣学生指導員としてフランスに渡り、以後、現在までフランスで剣道指導に携わっていて、剣道は最高段位の八段とのこと。
著書に「侍の翼」、「伊藤一刀斎」、「行くのか武蔵」などがあり、小生もこれらの作品を読んで、新しい形の時代劇作家がまた一人生まれた、と注目した一人である。
今回の『武蔵円明の光』は、前作『行くのか武蔵』の続編で、舞台は巌流島の決闘から、大阪の陣、江戸滞在時代を通して武蔵の「兵法至極」の完成を目指す修業時代を作者の独自の武蔵像を織り交ぜながら、生き生きと描いている。
当然ながら、多くの点で先日読んだ加藤 廣『求天記―宮本武蔵正伝』と重複するが、描かれている武蔵像は、これまた当然ながら加藤氏の武蔵像と異なったものとなっている。
即ち、著者は主として武蔵の人間的成長にスポットを当て、養子「三木乃助」「九郎太郎」の養育や明石宿の町建設に兵法の理論を駆使したり、また、当時の様々な一流人とかかわりを持ち、兵法のみならず自己の人格完成を目指す武蔵が描かれていて興味深く読むことができた。
加藤氏が資料の中に見落とされていた事実に新たな角度から光を当て、あっと驚かせる手法であるとすれば、好村氏は魚住 孝至氏著作「宮本武蔵(新潮文庫)」を始めとするさまざまな資料を丹念にあたり、そこに剣道家としての目から分析を加え、そして、誠実で品格ある文体で描いている。
小生としては、この際、加藤『武蔵』、好村『武蔵』の両方を是非読み比べることをお勧めする次第である。
『武蔵円明の光』(好村兼一著 角川学芸出版)(左)、『神速の剣』(近衛龍春著 PHP研究所)(中)、『卜伝』(小島英記箸 日本経済新聞出版社)(右)
先ずは、剣聖塚原卜伝を描いた『卜伝』(小島英記箸 日本経済新聞出版社)
生涯数多の真剣勝負や合戦に臨んで一度も負傷しなかったという伝説的な剣豪・塚原卜伝。
その卜伝が初めての廻国修行に出て、謀略渦巻く幕府の権力闘争に巻き込まれて、多くの闘いを繰り広げる。
若き日の卜伝を描いたストーリーであるが、幕府内の権力闘争の描き方が煩雑で、主役の卜伝の影が薄く、中途半端、新味も感じられず正直ちょっとがっかりであった。
次に居合の始祖林崎甚助を取り上げた『神速の剣』(近衛龍春著 PHP研究所)
林崎甚助が、闇討ちにあった父の仇討ちを果たし、再び廻国修業の旅に出るまでの若き日の居合の始祖を描いたおなじみの物語である。
身体も小さく、ひ弱な民治丸(林崎甚助)が、ひたすら仇討だけに通用する剣を修業中、神託を得て『居合い』という全く新しい剣術を編み出し、前途に横たわる様々な障碍を克服して、本懐を遂げるというストーリーは、居合を志す者にとっては周知の事実で、特に新味は感じられなかった。
資料によると仇討成就の後、諸国を廻国修行し、幾多の弟子を育てたとある。また、70代にして諸国へ再度廻国修行に出て、その後の行方は知れないという。
小生としては、林崎甚助が仇討以降どう居合を極めて行ったのかに強い関心があったので、これから廻国修行時代のエピソードを取り上げた本はないか、探そうと思っているところである。
3冊目の本は、加藤 廣の『求天記―宮本武蔵正伝』と同じく宮本武蔵の巌流島以降を取り上げた『武蔵円明の光』(好村兼一著 角川学芸出版)
著者紹介によると、著者の好村氏は東京大学在学中に全日本剣道連盟派遣学生指導員としてフランスに渡り、以後、現在までフランスで剣道指導に携わっていて、剣道は最高段位の八段とのこと。
著書に「侍の翼」、「伊藤一刀斎」、「行くのか武蔵」などがあり、小生もこれらの作品を読んで、新しい形の時代劇作家がまた一人生まれた、と注目した一人である。
今回の『武蔵円明の光』は、前作『行くのか武蔵』の続編で、舞台は巌流島の決闘から、大阪の陣、江戸滞在時代を通して武蔵の「兵法至極」の完成を目指す修業時代を作者の独自の武蔵像を織り交ぜながら、生き生きと描いている。
当然ながら、多くの点で先日読んだ加藤 廣『求天記―宮本武蔵正伝』と重複するが、描かれている武蔵像は、これまた当然ながら加藤氏の武蔵像と異なったものとなっている。
即ち、著者は主として武蔵の人間的成長にスポットを当て、養子「三木乃助」「九郎太郎」の養育や明石宿の町建設に兵法の理論を駆使したり、また、当時の様々な一流人とかかわりを持ち、兵法のみならず自己の人格完成を目指す武蔵が描かれていて興味深く読むことができた。
加藤氏が資料の中に見落とされていた事実に新たな角度から光を当て、あっと驚かせる手法であるとすれば、好村氏は魚住 孝至氏著作「宮本武蔵(新潮文庫)」を始めとするさまざまな資料を丹念にあたり、そこに剣道家としての目から分析を加え、そして、誠実で品格ある文体で描いている。
小生としては、この際、加藤『武蔵』、好村『武蔵』の両方を是非読み比べることをお勧めする次第である。