折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『自然界』と『政界』 二つの『蕾(つぼみ)』

2010-01-20 | 雑感
1週間ほど前は、まだ蕾だった我が家の庭の四季バラが、2,3日前からピンクの可憐な花を咲かせている。

凍てつく寒さの中、咲いている様は、けなげで、気高く、美しい。

また、庭の一隅に植えられている梅の木も、まだ固くて小さいながら、蕾をいっぱいつけている。

その佇まいからは、来るべき春の胎動がそこはかとなく感じられる。

こういう景色を目にすると、自然は『正直』で『裏切らない』とつくずくそう思う。


 
我が家の庭に咲いた四季バラの花           梅の蕾はまだ小さくて固い



一方、『政権交代』から100余日、期待された新しい政治の『芽=蕾』は、今、『政治とカネ』という、およそ前時代的なスキャンダルにまみれ、花を咲かせることなく、蕾のままで立ち枯れてしまいそうな、まさに『風前の灯』の如き状況である。

・こじれた日米関係、
・ままならぬ雇用、
・二番底に沈みかねない景気


いずれを取っても、差し迫った課題が山積している中で、政治が果たすべき役割は、この上なく重大にもかかわらず、がらがらと音を立てて崩れつつある政権への信頼感。

政権交代に希望を託した国民にとって、何と言う政治の体たらくと怒りを通り越して泣きたくなる心境である。

そんな、イライラした気持ちで新聞を読んでいたら、北海道大学山口二郎教授の『自ら進んで挙証責任を負え』と題する寄稿記事が目についた。


1月19日付朝日新聞記事


(前略)

今回の戦いは、あくまで政治闘争である。裁判闘争では、挙証責任は検察が負う。検察が犯罪事実を証明できない限り、小沢側は潔白である。しかし、政治闘争とは、リングに上がって相手と殴り合う戦いでなく、国民環視のもとでどちらが説得力、訴求力のあるパフォーマンスをするかという戦いである。したがって、政治闘争ではむしろ小沢が挙証責任を負うことを覚悟すべきである。

(中略)

小沢および民主党が政治改革を実践したいならば、自ら進んで国会や公開の場に出て、あらゆる質問に対して自らの言葉で答えることで、検察に対して先手を取るべきである。そうした捨て身の戦いをしなければ、今回の危機を乗り越えることはできない。小沢個人にそうした決断ができないならば、民主党という政党の政治的能力が問われることになる。繰り返す。政権交代が烏有に帰すならば、国民は民主政治に絶望するしかない。日本の政党政治が瀬戸際にあることを、小沢および民主党の指導部に銘記してもらいたい。(1月19日付朝日新聞「私の視点」より)


まさに、わが意を得たりの意見であり、艱難辛苦の末ようやく手にした新しい政治の芽=蕾を枯れさせないためにも、関係者は山口教授の指摘に真摯に耳を傾けてもらいたい、と切に願う次第である。