折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「手間暇かける」ということ~続・「私は貝になりたい」

2008-12-12 | 映画・テレビ
映画「私は貝になりたい」では、美しい日本の四季を描写した数々の印象的、感動的な場面を見ることができる。


これらの撮影は、福澤監督が日本の海岸線をくまなく見て回った末にやっと探し当てたという「島根県隠岐郡西ノ島町」、同じく「島根県仁多郡奥出雲町」で撮影されたとのことである。

自然を相手の撮影だから、当然ながら数時間、時には数日間も天候待ちを続け、何も撮れないこともあったという。


このシーンを撮るだけでも数日間も天候待ちを続けたとのことである。
(写真は劇場用解説書から)


あのめくるめくような断崖、地平線から昇る太陽、雲間から差し掛かる光のカーテン。(夫役の中井正広と妻役の仲間由紀江が思い出の海を崖から見るシーン)

深々と降りしきる雪深い山村のたたずまい。(妻役の仲間由紀江が夫の助命嘆願書の署名を集めに回るシーン)


映画に出てくるこれらのシーンは、実に「手間暇かけて」作られたものなのだ。


昨今、こうした手間暇かけた作品は、作りづらい環境にあるという話も、もれ聞く。


それだけに、この「私は貝になりたい」をはじめ、今年見た映画「アース」、「ラスト・ゲーム~最後の早慶戦」のいずれもが「手間暇かけた」作品であったのは、幸せなことであった。


「手間暇かけた」という点では、テレビドラマでも映画「私は貝になりたい」と好一対をなす作品がある。

現在、某民放テレビで放映中の「風のガーデン」である。

脚本、映像美、音楽いずれをとっても「私は貝になりたい」にひけをとらない。

このような作品が民放テレビで放映され、それなりの視聴率を上げていることは大変嬉しいことである。


両者に共通しているのは、自分たちが作り上げようとしている作品に対する純粋な思い入れ、厳しい自己規制―それは製作者の良心と言えるものなのだろう―そのあらわれとして、手間暇かけて慈しむようにして作られた結果が、見る者に共感と感動をもたらしてくれるのだと思う。


そしてこの「手間暇かける」ということは、映画やテレビに限ったことではない。


「手間暇かける」ということの対極にあるのは「手軽さ」ということであろう。


われわれの日常生活の色々な場面、一例をあげれば食生活での「料理」などもそうである。


冷凍技術や電子レンジの進歩等々で、「手軽」にそして、それなりに「おいしく」食べられる昨今、「手間暇かける」ことと「手軽さ」のバランスをどうとっていくか、「手間暇かける」ことの大切さをどう伝えていくべきか、今の世の中の流れを考えると容易なことではないと思うが、少なくとも、いつの間にか「手間暇かける」という言葉や「おふくろの味」と言った言葉が「死語」になってしまうという事態だけにはなって欲しくないと心から念じている次第である。