折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「無声」の日常~「声帯萎縮症」予備軍?

2008-12-06 | 日常生活
昼間一人でいる時は、ほとんどテレビを見ないが、かみさんと二人で過ごす時は、余り口数の多くないわれわれにとって、何となく「間」を持たせてくれるテレビは、ありがたい存在である。

その日の夕食時、たまたま、テレビでNHKの「ためしてガッテン」を見ていた。

この日は、「中高年を襲う!謎のノド異変」というテーマで「声帯萎縮症」を取り上げていた。

この病気、どうやら「加齢」などによって声帯が萎縮してしまい、2枚の声帯がきちんと閉じなくなって、その隙間から息が漏れて、声がかすれたり、ひどい時には、声が出なくなってしまったり、つばや食べ物にむせやすくなったりするらしい。

そして、自分では気付かぬうちに病状が進行し、思いもよらぬ体の不調を引き起こすのだと言う。

番組では、埼玉県に住む72歳の人が、声がかすれるようになってしまったのを風邪だと思って、風邪の治療を受けているうちに声が出なくなってしまったという話を紹介していた。
この人の場合、ほとんど「会話」らしき会話がなかったことが、症状に拍車をかけたということに話が及んで、これは「他人事」でないぞと、思わず画面に見入ってしまった。


会社を定年でリタイアして早6年になろうとしているが、この間、一番顕著な現象は、「話す機会」というか「声を発する」ことが極端に少なくなった、ということが上げられる。

昼間は、かみさんが勤めに行っているので、ほとんど一人で家にいるが、新聞を読んだり、ブログの原稿を書いたり、本を読んだり、音楽を聴いたりと結構、日がな1日、自分の好きなことをして過ごしているので、退屈するということはないのだが、考えて見れば、この間、ほとんど声らしい声を発していない。

図書館に行ったり、映画を見に行ったり、書道教室に行ったりと、外出することもあるが、それとて必要最小限の話しかしないから、「会話」のレベルとはとても言えない。

唯一、「居合・抜刀」の稽古の時が仲間たちと気を許して話しをする機会であるが、これとて「稽古」が目的で「会話」が目的ではないのでおのずと限界がある。

地域の人や同じようにリタイアした人たちと交流するのも有力な方法かもしれないが、小生にとっては、どちらかというと余り気が進まない。

また、かみさんとの「会話」といっても、そんなに毎日、毎日話題があるわけではない。
前述のように、ついついテレビに「間」をとってもらうことが多くなる。


こうして、あれこれ見てくると、本当に「声を発する」ことが少ないと改めて実感する。

さらに言えば、そういう日常生活に自分なりに満足しているので、この「声を発する」ことが少ないことには、これまでは全くといってよいほど「危機感」などなかったのである。


テレビによれば、声帯も使わなければ衰えてしまう。このノドの異変は60歳以上の8割の人に始まっているとのこと。


発症にいたるには個人差があるらしいが、環境面(年齢・声を使わない)から見れば小生などはれっきとした「予備軍」には違いない。


これまでは、「声を発しなくても、どうってことない」と思っていたが、いざ「声を発する」機会を作るとなると、中々大変だ、テレビを見てそんなことを思った次第である。