toboketaG の春夏秋冬 

雑文、雑感、懐古話そして少しだけ自己主張。
土曜日をベースに週1~2回の更新が続けられればと思っています。

394-300721猛暑の私なりの過ごし方

2018年07月21日 | もろもろ

 

昨年夏の写真だが、群馬県下久保ダム湖のある風景。こんなシャッター

チャンスなんて滅多にない。

その近くの曹洞宗の古刹で見かけた三波石の圧倒的な存在感。

 

泣きをいれてもどうにもならないので、猛暑に打ちひしがれながらもエ

アコンの効いた所を探し歩いている。今週は群馬県歴史博物館で開催さ

れている催し物を見てきた。

 

http://grekisi.pref.gunma.jp/96exhibition.html

 

国や各地の資料館から拝借したとの説明書きの付いた、本来ならそこま

で足を運ばないと見られない沢山の資料や実際使用された道具類を見て

回った。入場券に印刷されているように、暦、地理天文、和算等の資料

から見た江戸の科学の高い水準を知ることができた。伊能忠敬が全国を

測量して回ったことは良く知られている。そのすごさは当時では老齢隠

居の歳からこの快挙を成し遂げたこと。和綴じの和紙に筆で書かれて小

さな字の中につれあいの実家がある安中市郷原、原市の地名がはっきり

読み取れる。この測量行で忠敬は北国街道から中山道に入り信濃か

氷峠を越え坂本、横川、松井田と歩を進める。ただ歩くだけではない。

正確な歩幅で距離を測り、それに基づいての三角測量でこの地点な

義山の頂の高さを測量しただろう。夜間晴れていれば欠かさず北極星の

角度を詳細に測り、緯度の変化を細かく記録している。

松井田宿と郷原の間、琵の久保ある石作りの大き常夜灯も忠敬

眼に触れたと思うと、意味を持った歴史遺産として再登場する。

 

ブースを変わると和算の大家関孝和に関する資料。西洋の数学者との接

点なぞあり得ないにも関わらず、独自の視点で微分積分を体系だって研

究している。特に円周率を求める独特の方法に感心する。心地よい館内

での2時間半は充分に満足する午後だった。

 

7月入りしたら首筋が痛くなり、一時は少し頭を傾けるだけで激痛が走

る。悪いことは重なり左耳が急性中耳炎になる。先月末何かを掴んだ感

じがあり、それを確認する大事な時期だったのに、泳ぎは禁じられたの

は辛かった。暑さの中外出もかなわず、こうなると読書に逃げるしかな

い。

中村彰彦著「知恵伊豆に聞け」と「名君の碑」の2冊を読む。

「知恵・・」は何度か散策した新座市の平林寺に墓地がある松平伊豆守

綱の物語。「名君・・」は徳川2代将軍秀忠の側室の子であり、家光

及び高崎藩内で自刃した忠長の異母弟、秀忠正室お江の方の陰湿ないじ

めにあうもめげずに成長し、信州高遠藩、出羽山形藩続いて会津藩を

めた保科正之に関する本。信綱は3代家光に時代の幕閣、正之は4代

綱の幕閣。どちらも面白い内容だったが、特に保科正之という現代に

充分に通用する近代的な名前の殿様の生涯は面白かった。二人の現代

感覚を有した当時としては稀有な才能に著者の思い入れは当然強い。

史実はどうなんだろうと思いを巡らせる。秀忠、家光、家綱と続く50

年余の期間は有能な補佐役に恵まれて徳川幕府が最も安定し輝いていた

時期であったことがよく理解できた。次にくる華やかな元禄文化はこの

安定がもたらしたものだろう。

関孝和はこの時代に、伊能忠敬は更に下った100年後にその才能を輝

かせた。

こんなことも知った。長野県高遠町と福島県会津若松市には同性が多い

ということ。会津の名物料理に「高遠そば」があること。地理的な離れ

た二つの地域は正之を通じて結びついている。

高校での日本史の授業は特別興味の対象ではなく、暗記主体の受験の手

段だった。鎌倉幕府の成立年はいつか? なんて無意味なことだった。

あれから半世紀以上の時間が経過、今歴史の面白さを実感している。

 

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