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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

いつのまにか変わっている事情

2016年09月14日 09時17分58秒 | 思考試行

目の前で、話を聞いているのに、まったく違う認識ができたりする。少し、耳が遠くなってきていると、聞き逃すこともあるようで、その場合には、同じ場所にいたとしても、それは、共通の理解でいると、思い込んでいると、全然違う認識が生まれていることに気がつかない。

そこで、対話が必要ということになる。理解不足、認識の違い、それはもめごとのきっかけであり、不要な諍いのもととなる。

その意味で、物事の変化、決めたことの背景など、共通認識をもっていることは、重要である。よくよく、議論したり話し合っていることは、お互いの考え方のルートが判るから、大幅な誤解になることは少ない。

日頃の意思疎通がなされていないと、なぜそういう考え方になるのかの背景がわからないから、相互理解が困難となる。相手の考え方に、問題があるとするなら、その段階で、かなりのぶつかり合いがあるから、付き合う相手になるかどうかの判断にもなる。

あまり、その幅があるようだと、敬遠することが賢明という場合もあるだろう。


ものが見えているか

2016年09月13日 09時35分30秒 | 思考試行

はかりごとをする者はいるのだろうか。通常はいない。そこまでして、何かをしたいという考えは通常おこらない。自分の生活だけならば、それなりの準備や、環境があるのなら、それほど困難なことではないだろう。確かに時代によっては、たいへんなときがあったし、今でも、何か条件がかわれば、とても困難な状況になることはありうる。

それでも、強い意思をもって、他者を陥れるというようなはかりごとをすることは、通常考えられない。だが、それは確かにある。誰かのために、であったり、目的意識をもって、人を陥れようとする動機をもつ場合がある。どういいう信念をもっているかは問わないが、それが、自らの私怨というより、使命感のような場合には、充分起こりやすいし、その可能性は高くなる。

高畑氏の場合、不起訴となり、注目を浴びている。何らかの事実はあり、問題行動ではあったのだろうが、ここへきて陰謀説が出てきているようだ。検察が不起訴にした理由は、わからないが、非親告罪であるから、罪に値せずとしたのは、かなりの決断である。背景に何があったのか、こうした事件の中に、人間模様が浮かび上がる。


何にお金を使うか

2016年09月12日 09時21分46秒 | 思考試行

デフレという言葉は、長く続いていて、それは非常に良くないように言われる。要するに、みんな財布の紐をしめてしまい、貯金する、銀行は、貸す相手がいないものだから、投資先がなく、国債を買う。企業は物がうれず、そのため賃金の切り下げをする。と、ますます消費行動が抑えられて、デフレが加速する。

という具合らしい。少し貯金があれば、物価が上がらないから、安心して過ごせる。その貯金がなければ、切り詰めるほかない。あるいは、借金しまくるか。借金すれば、利息に追いまくられて、生活はますます苦しくなる。

我慢して、プラスの回転になれば、少しずつ貯金をしながら、金のかからない過ごし方をすればいいとなる。だが、いまのように、儲けを分配せずに、企業で溜め込むならば、そして、若者たちに劣悪な条件の雇用を押し付け続けるなら、若者たちは結婚することもできず、人間としての生きる意欲にも影響を与えることになる。

これでは、全体としてジリ貧になることは自明の理であって、よくもこんなことをいつまでも続けるもんだと呆れる。当代の富裕層の視野の狭さ、ズルさ、醜い姿が今ほど明らかになっている時代はないように思える。

だが、人間世界は、つい、この間まで、人身売買が普通であり、強者が弱者を食物にするのは、当然のことであった。人類はそれほど上品ではなく、利己的であり、大した存在でもないのである。こんな調子なら存在する価値がないてなもんだ。


くみあわせ

2016年09月11日 10時54分21秒 | 思考試行

知識、知恵、技術、等々は過去の知識、知恵、技術の積み重ねから、あるいは、こうした技術、成果のくみあわせで展開されていくことが多い。

まったく、なんの基礎もなく、突然に、あらたな知見が発明されることは、ないとは言えないが、それでも、積み重ねのなかで、可能となるのである。

と考えるならば、過去の知識、知恵に注目してそのくみあわせを考えることは、無駄ではないかもしれない。発見のきっかけはどこにあるのかわからないから、くみあわせを発見するのは、どうしたいのかとか、どうなったらいいのか、などの理想を描きつつ、くみあわせを考えることにあるのではないだろうか。

目的意識、問題意識があってこそ、ものごとの進み具合にエネルギーが注入される。

北朝鮮は、自らの生存のために、ミサイル、核に血道をあげているのだろうか。もっと、他の野心があるのだろうか。もしか、生存だけなら、話し合うことは可能ではないだろうか。


世界のレベル

2016年09月10日 11時05分50秒 | 思考試行

いつの間にか、世界の指導者は、自分よりも若い人々で構成されていて、その動きが急に、危なっかしく思う、その思い方が、従来とは違う感じがする。

本当に心配している。保護者が手を離れた息子や娘が独立して、どんどんやっていく様を心配気に見守っているという感じである。

善き方向をめざして、着々と仕事をしてくれたらいいのだが、集まるとごジャごジャとうまくいかない。よく言われるように、これが戦争前夜なのだろうか。

話し合いは、うまくいかず、それぞれが疑心暗鬼で、領土拡大、武器の調達、脅し、心理戦ともめごとの種を、回避していくのは、たいへんである。

オバマ大統領は、良識的だと思うが、それを弱腰とみて、強権的な態度をとるところもあり、こんな調子では、人類の存続そのものが怪しくなってきている。

滅亡、それも致し方のない話かもしれないが、せっかくの文明を築き、新しい生命があとに続いているのに、情けないことであるし、一人、人類のみならず、地球上の生命の運命に関わることであり、はたして、うまくことが収まっていくのか心配なことである。


感謝とか謙虚とか

2016年09月09日 10時24分12秒 | 思考試行

結局は、出過ぎるよりも、いいかもしれないと、日本人は思う。だが、世界は違う。出ない奴は、弱いとして、攻撃の対象になるようだ。

で、相手は、とんでもない自己主張をしてくる。たしなめない限りは、限界なく続ける。反撃すれば、収まるようだ。

反撃を覚えなければならないようだ。日常生活においても、そういう態度の人間はいる。おとなしくしているとつけあがってくる。反撃すれば、それは止む。

いじめ問題などは、簡単にはいかないけれども、発端で、そんなことがあれば、主張すべきはしなければならない。様子がおかしくなれば、こだわることなく、逃げるのも重要である。

相手にすることが、いいのか悪いのかということもある。そんな相手からは、サッサと逃げ出すことも必要である。

自らは、身を律し、努力もするけれども、相手にそれを求めることはできない。相手もまた、時期がくれば、そうすることもあるだろう。なければ、それはそれで仕方のない話である。

結局、感謝とか謙虚とか、そう心がけながら、言うべきことはいい、反撃すべきはする、姿勢で人生に臨めば、いいと思う。そして、時には逃げ出すこともあっていい。


中国、韓国とのつきあい

2016年09月08日 09時13分07秒 | 思考試行

水産物を取り放題に取る。資源の枯渇について、考えもしない。信じられないぐらいに滅茶苦茶な行動をとる。

こんな国が隣国にあり、付き合っていかざるを得ないのは、まことに辛いことである。

それでも資源の枯渇についての認識がまったくないわけではないようで、根拠があるのかなどと、調べもしないで、反論だけするという具合らしい。

こんな国が、まともな顔をしているのは、腹立たしいが、今は、発展段階のプロセスであり、致し方ないのかもしれない。

来日するこれらの国々の人々は、教育されてきたことと、実態との違いに驚いたりするケースがあるようだ。

しかしながら、日本サイドも、現政権の指導者たちは、さきの大戦の総括もキチンとしていない。タブー視して本音を言わず、別の考えをもちながら、それをまともには言わない。

そして、昔のように、世界に冠たる軍備を持ち、周囲に勝手な真似をさせない状況を作りたいようだ。そのために、国民の権利についても制限を加えることも必要だ、そんな風に考えていて、立法化もすすめている。

で、そのことが、被害者たる側にしてみれば、いつまでも、こだわり、非難材料にするという悪循環に入る。何年経とうと、わだかまりは消えることがない。


情報公開の必要性

2016年09月06日 08時42分10秒 | 思考試行

なんでも解るようにしておかなければ、いい加減なことになるし、知らせなければいいとなれば、管理は杜撰なものとなり、管理者は誘惑にかられて都合のいいようにするのは、言わば当然のことである。

そのためには、自分の仕事を全部公開する。なにをどうしているのかを、常に明らかにしていくことが、結局、全体のためにもなり、自分自身のためになる。

行政などは、とりわけ地方自治の世界では、秘密にすべきことなど、およそないのではと思われるほどである。

国政においても、国益をギリギリ追及するかぎりは、秘密をもつこともやむを得ない場面はありそうだが、基本的には、そんな秘密をもたなければならないのは、そんな社会は、概ね健全ではないだろう。

利権とか、大抵は、一部の人間がうまい汁をすうべく、情報を隠したり、操作したりするのである。民主主義社会というのは、文字通り、民が主であり、支配者であったり、一部エリートのための社会ではないのである。


殺されたいか、殺したいか

2016年09月05日 08時56分09秒 | 思考試行

どちらもしたくないのなら、戦争はしないということだ。殺したり、殺されたりしたいわけではないが、やむを得ない、と考えるかどうかである。

相手が殺しにきたら、さすがに抵抗はするだろう。その準備をするのは当然として、(当然でないかもしれない)いるのが、日本の現状である。

そういう相手が来れば、粛々と殺されるのみとするか、それとも抵抗するかである。いくら憲法で交戦権を放棄すると、決めてあっても、抵抗ぐらいはするだろう。それで、相手を殺してしまうことはあるかもしれない。それは、当然だとしている。

マスコミが、スポンサーの意をうけて、政治的な行動をしていることは明白だが、時により、それを隠す。あるいは、芝居をする。

資本主義の世の中において、大事なのは、儲けであり、金であり、実は人間そのものではない。組織はそのように動く。人を大事にすれば、儲かるのであれば、そうするだろうが、大抵は、人を食い物にする方がはるかに儲かるのである。

 


NHKの変質-報道機関の役割

2016年09月03日 09時01分45秒 | 思考試行

もうすでに知っていることを、さも、新しいことのように、情報として流している。こんな放送局が支持されるだろうか。民放がさんざん報道したことを、後追いで、しかもうすい情報を流す。

したり顔のアナウンサー。知らず知らず、戦争への道を歩むのは、こんな雰囲気のなかで、進むのではないだろうか。

そこには、問題を見つけようとして、目を光らせている情熱がない。本当に、平和を求める人々の願いをうけて、本来持っている役割を充分に機能させているだろうか。

危険な動きを察知して、これに対処する方策を考えているだろうか。自民党政権の動きは、あちこちで、従来とは異なっている。その一つひとつに注目して、この従来とはちがう動きに対応してるだろうか。

細やかに、みていないと、本質からずれた番組ばかりを流している。国民はだまされてしまう。戦争をしないという決断をしている国がどういう行動をするべきか。

現政権は、普通の国になって、戦争をすることから逃げてはいけない、と考えていることが、今や明々白々となっているのに、知らんぷりをしているのは、報道機関として、最悪の態度である。これは、すでに現政権の共犯者であることを意味する。


誰がそんなことをしたのか

2016年09月02日 10時29分36秒 | 思考試行

さきの大戦が、どのようにして起こったのか。明治に遡って、さらには、その前から諸外国との関係のなかで、戦争が始まった。いきなり、敗戦につながる戦争が始まったわけではなさそうである。

弱い方が、強い方に好き放題にやられてしまう。資産が奪われ、人は奴隷として、売り飛ばされ、労働力とされる。それが嫌なら戦争だが、負ければ、勝者の言うがまま、為すがままとなる。

日本は、敗戦の結果、始めて勝者の国の言うがままに、民主主義というものにふれる。わずか70数年にしかならない。封建的な思想は、すべてが根絶されたわけではない。長幼の序、年功的な縦社会は残存している。天皇制という特殊な支配機構もある。

アメリカの都合に従いながら、属国的な生き方のなかで、それなりの国力を築いてきた。民主主義とは何かについて、ほぼ、国民が受け入れた状態にある。勿論、不具合はたくさんある。だが、人類社会において、一応先進国の末席には連なっている。

これからどうやっていくのか。さらなる改善と進歩が必要だが、ここへ来て安部政権は、戦争前夜の政策を次々とだまし討ち風に、出してきている。油断ならない時代を迎えている。


むのたけじさんのこと

2016年09月01日 11時03分54秒 | 思考試行

平和を、訴え続ける人。むのたけじさんが亡くなった。100歳をこえて、なくなる寸前まで、日本が戦争前夜の状態にあることを憂い、行動してきた。従軍記者の体験をもつ、深い反省から、朝日新聞をやめたが、今日、テレビでタマガワ氏が取材している風景があって、重要なことを聞いた。

戦時中の体験で、日本軍が現地女性を裸にして、ならべて、兵隊が犯していく、そのそばには、反抗したと思われる男の死骸がある。その現場を見たというのである。これが戦争だという。それこそ慰安婦問題に数倍する残虐さである。おそらく、戦場では、日常茶飯事のことだろう。

ソ連軍は、日本女性になにをしたか。おなじようなことがあった。戦争の残酷さを伝えきれないことを悔み、さらには、単に朝日を退社するだけで、ケジメをつけたような気になっていた自分を責める。あそこで、なんで、あの戦争について、徹底的に深く反省してみなかったのか、単に退社することだけで、すませたのか。

その語調の厳しさ、切なさが伝わってくる。ところが、むのさんをあまり知らなかった。平和運動といえば、共産党か社会党かと思っていた。社会党は、権力とむすびついていたし、共産党だけがと思っていた。リベラルな立場からの平和運動を知らなかったのである。狭い視野である。