映画でも、ドラマでも、演劇でも、その筋立てが、現実にありそうなしっかりした背景を下地にしながら、奔放な飛躍があって、面白いのではないだろうか。
極悪人がいて、これが、あらゆる手練手管を動員して生き抜く、というような筋立てであっても、そこに、なぜその人間がそのようになっていったのか、どこに生きるエネルギーがあるのか、その点をしっかりしていなければ、フラフラ揺れる悪人となる。
そんな悪人もいいのだが、それならそれで、そういう位置立てが必要だ。俳優は、演技をするにあたって、その人物の正確、生い立ちを考えるという。演技する人は、その人になりきるのだから、当然それは必要だろう。
当然ながら、作家は、作品の細部にわたって、その思想が貫かれていなければならない。その思想がなんであるかが、問われる。テクニックのみで、作られたのか、あるいは、その作家の深い心持ちがあって、その発露のものなのかが問われている。
映画、「後妻業」を観ての感想である。作家になりたい、と一瞬思った。