知識、知恵、技術、等々は過去の知識、知恵、技術の積み重ねから、あるいは、こうした技術、成果のくみあわせで展開されていくことが多い。
まったく、なんの基礎もなく、突然に、あらたな知見が発明されることは、ないとは言えないが、それでも、積み重ねのなかで、可能となるのである。
と考えるならば、過去の知識、知恵に注目してそのくみあわせを考えることは、無駄ではないかもしれない。発見のきっかけはどこにあるのかわからないから、くみあわせを発見するのは、どうしたいのかとか、どうなったらいいのか、などの理想を描きつつ、くみあわせを考えることにあるのではないだろうか。
目的意識、問題意識があってこそ、ものごとの進み具合にエネルギーが注入される。
北朝鮮は、自らの生存のために、ミサイル、核に血道をあげているのだろうか。もっと、他の野心があるのだろうか。もしか、生存だけなら、話し合うことは可能ではないだろうか。