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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

睡眠

2014年01月16日 11時24分59秒 | 思考試行

昨日は、昼間に待ち時間があって、車のなかで、ぐっと寝てしまった。そして、夕方にまた、眠くなって小一時間横になって眠った。

そのせいか、夜はなかなか寝付けず、ついに、眠った感じがなく朝を迎えることとなった。実際は、眠っていたようで、家内に、私がトイレに起きたのを知っているか、と言われ、そういえば、全然知らなかったことから、それはそうなのだろう。

自分の意識としては、眠っていないという感じで、家内にその話を聞くまでは、布団のなかで、ちょっとした頭痛を感じながら、今日は、昼間は寝ないようにしようなどと、ぼんやり考えていた。

睡眠は、床にはいって横になって、すぐ眠りにつくというわけではないから、このまま眠れないのではと、頭をかすめることがある。眠れなくても、いいや、と思っているといつの間にか眠っているという感じの繰り返しだが、昨日のように、いつもと違うリズムになったりすると、眠れないかもしれない、という気分が強くなって、いつまでも眠れない感がでてくる。

やはり、昼間はきっちりと体を動かし、チャント疲れていないと、いい睡眠がとれない。しっかりと体を動かし、やるべきことをやろう。


仕事

2014年01月15日 16時29分42秒 | 思考試行

人間の仕事は、あれこれの原因追及、改善を求めてきた歴史ではないか。仕事のなかで、工夫をかさねて、より良くなるように成果を積み重ねてきた。

それは、一つの分野だけでなく、すべての分野で行われてきたに違いない。多くのことが、理解され、改善され、方向としては、よりよい方向へと向かってきているはずである。

だが、このところ、必ずしもいい方向とばかりは言えないような状況もでてきている。経済至上主義的傾向のなかで、金儲けのみが成功の証というような、単純な思考回路から、他人のことは眼中になく、ひたすら自己利益のみ追及し、貧富の格差がひどくなってきた。

社会の暮らし良さは、全体の調和のなかにうまれる。アンバランスな状況は、混乱の源であり、そこに安らぎはない。勝った負けたの世界だけが、人類を進歩させるわけではない。

動物の世界ではあるが、人智の限りをつくして、この世界を共生継続させていくためには、どうするのか、それができるのは人間だけなのだから、しっかり努力していくべきだ。


忘れること

2014年01月14日 08時06分23秒 | 思考試行

中国、韓国、北朝鮮、おたがい近所でありながら、理解しあえず、反発しあっている。日本での朝鮮差別は、かつてひどいものがあった。今や、在日韓国人、朝鮮人は、ふるさとに帰っても、歓迎してくれるわけでもなく異分子あつかいをされると聞く。

日本にいても差別され、故郷へ帰っても異分子であれば、いる場所がない。日本人でもないし、韓国人、朝鮮人でもない。では、どうするのか。それこそ、日本人でも韓国人でもない、国際人として、力量を高めて、独自の存在価値を獲得すべきであろう。

質的に高く、国にしばられない価値観を武器に、地球人類の生き方を実践することではないだろうか。国籍、民族、宗教など、狭い価値観にとらわれることのない広い度量を、示すべきである。

日本で文句をいい、韓国で、金だけせびられる、どちらの仲間にもいれてもらえない、などと嘆いていないで、独自の価値観を構築すべきである。

そして、うらみつらみは忘れることである。そんなものは、何の役にも立たない。


ギラギラとしない寂しさ

2014年01月13日 12時01分39秒 | 思考試行

何かを求めて、懸命にがんばっている姿が、自分の中に無くなっている気がして、少し寂しい。では、過去にはそんなことがあったのかといえば、それは見当たらない。ただただ、淡々とやってきたように思う。

周囲はといえば、やはり、ギラギラと頑張っている姿は、簡単には見つけられない。スポーツのニュースなどみると、むき出しの闘志溢れるシーンがみられるのだが、スポーツの良さはここにあるのだなと再認識させられる。

今年、一つの節目を迎えるにあたって、あまり、力をいれないでやってきたけれど、もう少し意識的に、ものごとにとりくんでみようと思う。家事の一つひとつも、こころをこめて、考えながらやってみようと思う。どう洗うか、始末するか、すべての行動について、チェックをいれてみたいと思う。

あまりにも、漫然といろんなものに手をだし、こころここにあらずの状態が続いてきた。広い世界ではなかったから、それでも何とかやってこれたが、後世の人に伝えるとすれば、何があるかと考えれば、まだ、何もない。これからの集大成で、意味を持たせるようにしたい。

できるところから、挑戦するつもりで、ものごとに取り組んでいく。ギラギラできない寂しさをかかえながら、秘めたる情熱をこめて。


不公平をどうしていくか

2014年01月13日 00時00分05秒 | 思考試行

このままでいいのかどうか、非正規雇用で、絶対に余裕なんかうまれない働き方、結婚もできないし、子供も作れない。これでは、社会が成り立たないではないか、といっても、今が良ければいい、という考え方には負けちゃう。

こういう社会の支配者連中はヌクヌクと、高収入があって、時間もあって、人生を楽しんでいるのだから、不満はない。それで、他人の不幸は、蜜の味というわけだ。

これではいけないと、ではどうするのかと、社会主義でいこうとすると、中国の例や、北朝鮮の例、かつてのソ連の例がある。人と人の権力争いであるとか、思想がちがう、やり方が違うと殺し合いをしないと気がすまない。

また、日本でいきなり共産党が天下をとったりすれば、アメリカは黙ってはいないだろう。そう簡単にものごとの解決はできそうになく、やたら難しい。

たとえば、富裕層の富をとりあげる税制を、法律で成立させて、これを貧しい人へ分配していく。だれも、飢えたり、自殺なんてしなくていい仕組みにする。こういう主張を、多数にして、常識にして、選挙すれば、こういう意見が大多数となって、自然と社会の変革がなされるという具合にいかないものか。

科学技術の進歩で、人間社会はそんなにあくせくしなくとも、生きていけるようにすべきではないか。奴隷のように働かせることを生きがいにしたり、人を食う連中には、たっぷりと税金をかけることだ。


労働基準法をなんと心得るか

2014年01月12日 00時00分05秒 | 思考試行

いい加減にしろよ、曲がりなりにも労働基準法がある。残業は、当然ながら払われなくてはならない。それを、払わない。有給休暇だってあるんで、これが使えないようでは、何が労働基準法かといわなければならない。

8時間働いて、土日は休みだし、有給休暇だってとれなければ、そんな企業は、企業として当たり前ではないことを知らなければならない。

口入れ業は、本来違法だったのが、小泉内閣のときに合法化されてしまった。以後、労働者は、非正規雇用労働者に転落し、低賃金に喘ぎ、今や、労働基準法は、無きに等しくなってしまった。

有給休暇をきちんととれる企業なんて、ないのではないか。情けない状態である。搾取に次ぐ搾取、儲けたお金はどこへいっているのか。何も働いてはいない株主連中、資本家連中の儲けになっていまっているではないか。彼らから、税金を取り立てて、労働者に分配しなければならない。

それが、社会正義というものだ。今の、状況が正しいなんて思ってはいけない。人間が人間を食っているようでは、人間社会の到達点とは到底言えない。

労働基準法は、日本国民が自ら勝ち取ったものではない。先の大戦で敗戦国となって、アメリカからもたらされたものであって、その出発からして、与えられたものであって、従って、権利を蹂躙されても、取られても平気なのである。

これでは、まだまだ一人前の自由人とはいえない状態である。これから、いつまで、どこまでガマンするつもりだろうか。一度、労働基準法を読んでみたらどうだろうか。法律だぜ!裁判すれば勝てるんだ。


たかじん

2014年01月11日 10時58分37秒 | 思考試行

お金の使い方が、凄かったようだ。落ち着いて、飲み明かすというのではなく、件数をこなす飲み方などもしていたようで、どこが面白いのかと思わされる。

コンサートでは、ほとんどトークが中心で、歌になると、観客がトイレに行くというから、その話がよほど面白かったのだろう。各界、分野に顔が広く、細やかな心遣いをする人だったようだ。

人生の達人の一種だろうが、誰にも真似ができることではないし、多様な生き方のなかで、彩をもたらしてくれた人ということになろうか。大阪人はケチだとか、簡単なレッテルはりを許さない実例、反例でもある。

弱者に対しては、さほど思い入れはなく、どちらかといえば、右寄りの感じがあるが、政治的発言はそんなになかったように思う。人間の生き様について、一家言があり、それを実行してみせた人といえる。

幸せな家族生活とか、平穏な生き方とか、庶民の生活とは無縁の世界にあって、それでも、支配者側からみれば、都合のいい庶民を支配するための道具の一種の人であったともいえる。

金持ちは、普通の人間ではないのだよ、というククリで、弱者を痛めつける側の人間にとって、庶民を畏怖させる効果があったかもしれない。


簡単ではない”簡単”

2014年01月10日 11時05分45秒 | 思考試行

印刷、FAX、スキャナの複合機を購入して、納入業者の技術担当者に設定をしてもらったのだが、この機械の使用方法は、そんなに簡単ではない。取り扱い説明書をみても、すぐには使えない。

設定のときに、簡単に操作を教わったのだが、使わないとすぐに忘れてしまう。いろいろ、トライしながら、機能の一つ一つを確認していく。これは、自分自身で操作しないことには身につかない。

自分の力だけではどうにもならないと判断したところで、取り扱い説明書もみるが、先に述べた通りである。そこで、相談センターの登場である。業者がもってきた冊子の末ページに、相談センターの無料電話がある。ここへ早速電話する。

ここは、説明が仕事の分野であるから、問題は次々と面白いように解決していく。ハナから独力では無理だったことがわかる。それでも、こちらの条件は、みんなと同じというわけでもない。少し時間をくださいという場面もでてくる。

結局は、半日がかりであったが、どうやら使える目途が立った。技術進歩のなかで、こういう煩わしさから、逃げ出している人も多いと思われる。

事実、家内も最近は、パソコンには、タッチしない。拒否反応すら感じる。で、書道とか俳句とか、絵手紙とか、に興味があるようで、となりの机で、墨のニオイをさせたりしている。しかし、こちらも奥が深い。

どこもかしこも、実は簡単ではないのである。


判断できること

2014年01月09日 09時29分12秒 | 思考試行

思い通りに、ものごとを進めることは、通常は難しく、それは不可能と思われている。ところが、インターネットをみていると、まるで、そんな障碍はないのではという画面が展開されている。

もはや、法律の枠内をこえて、さまざまな情報がとびかっている。とても私生活のなかで、知りうる機会がないようなことが、あたりまえに、展開されている。

どのようにして、このような情報がゲットされているのか、まるで、別の世界があるかのように思える。今度の秘密保護法と関連がないだろうか。こうした情報がある日突然消えてしまうことになるのだろうか。

「昔の日本」では有り得ないような情報が、溢れているなかで、それが突然消えるとするならば、これは、いよいよ国家的規模での墜落が始まるということだろう。

言論弾圧は、誰もが反対できないようなことから始まる。そこからジワジワと範囲が広がり、支配層の意志通りに秩序が構成され、これに国民が縛られていく段階へとすすむ。

今は、その前夜か、それとも、こうした動きから、新たな水準へ、高まっていこうとする機会となるか、いわば分水嶺にいる感じがする。次の選挙では、これを当然争点にしなければならないだろう。


フィルターの存在

2014年01月08日 16時39分29秒 | 思考試行

底抜けの変動が有りうるかどうか。一挙にとんでもない変化が生ずることは、あまりない。ゆるやかな、徐々に変化していきながら、時間がたてば、相当大きな変化となっている。

今は、誰もが知っていることも、聞いたことがない、となってしまう。記憶にいつまでもとどまることもない。当事者だけのことになってしまい、世代は変わればすべては、何事もなかったかのように、消えてしまうのである。

これは、救いでもある。取るに足りないことであっても、相当の大事件であろうと、ぬぐいさり、消してしまいたいことは、いずれそうなる。同様に、残したいことも残らない。で、人間は、また、同じ過ちをくりかえし、悲劇を展開する。有史以来、繰り返してきた事実である。

ところが、最近は、何かを人類が把握したのではないかという気配を感ずる。さすがに、ここまで、馬鹿げた展開を続けてきて、本質に迫りかけているのではないだろうか。いくら馬鹿でも、気付くときがある。もはや、今までとは違う、水準に到達しつつあるのではないだろうか。

今日、本屋に久しぶりに立ち寄り、並んでい新刊本や、話題の本などながめていて、そんな気分になった。真面目な、力のある人々が仕事をし始めている。ゴミ、チリ、アクタ、をとらえ、分別して、露にするフィルターが出てきているかのようである。


永遠でないこと

2014年01月07日 10時37分53秒 | 思考試行

世の中だけでなく、あらゆることが、永遠にそこにとどまることはない。日常生活は、いつも淡々と同じようにみえて、一日として同じ日はない。であるにもかかわらず、日々変わることのない退屈な生活とみえることもある。

とりわけ、定年退職などしたら、日々どう過ごすかということは、結構工夫がいる。何もしないで過ごすことは、本人だけでなく、家族にとっても、いかにも「粗大ゴミ」のようになりかねない。

何か新しい試み、工夫が必須である。昨日のテレビで、その特集らしきものをやっていた。男の料理教室だったが、不文律があって、過去を語らないことだという。階層社会のなかで、部長や課長だったと散々縛られてきたなかで、定年後もそんな話をしても、面白くないという知恵である。

過去を振り返って、どうなるものでもない。さすがというべき知恵である。これから何をするかが問題であり、大事である。受験に関係のなかった科目が、意味をもってくる。音楽、図工、美術などが、人生を豊かにするツールとなる。

一種の逆転劇である。おそらく一度しかない人生である。せっかく生を享けた以上充分に味わい、楽しみ生き抜いていきたいものである。


ブログを監視しコントロールしているね!

2014年01月06日 10時44分51秒 | 思考試行

ブログの良さは、監視されることなく、コントロールされることなく、自由に発言できる場と思っていたが、ここは資本主義社会であって、本当に、人間の表現の自由を尊重する気はない社会である。

このところブログのpv,ipの数が変であり、検索ワードもいかにも不自然であり、「人工的な現れ」が出てきている。しかも、サワっているヨ、ということを隠さない。

まるで、脅迫を受けている感じであり、すべては、「管理下にある」ことを「お知らせ」するつもりのようだ。ということは、注目してくれていることの証拠であり、これは、いよいよやる気を起こさせてくれる。

少しでも、世の中を良くし、このような人をコントロールしようか、と考える手合いを凹ませたいと思っている大海の一滴にとっての敵愾心を煽ってくれる。

意図的な数字の操作も可能だろう。検索させないという工作も可能なのかもしれない。ブログ管理者と、もっと大きな「管理者」が相談づくでやっているか、それとも、単独なのか、情報の管理手法について研究しなければならない。

技術が進歩して、大衆が多くの情報に接しさらに発信できることは、武器を手に入れたことには間違いないが、一方では、中国にみるように、具合の悪いものは、「消せる」技術もあるわけで、我々大衆は、そこのところも念頭におきながら、社会参加していこう。


どんどん変わる「壁紙」をみて

2014年01月05日 19時52分31秒 | 思考試行

誰が提供しているのか、多分マイクロソフだろうが、壁紙がどんどん変わるようになった。こちろの意志ではなく、誰かが自分のコンピュータの表紙を変えているので、いささか文句があるといいたいところ、この写真群は、それぞれどうやって撮影したのかと思わせる力作ぞろいで、感心して鑑賞するしかない。

ところで、今の写真をみて、感じたのは、、この写真に写っている敏捷そうな動物の姿は、彼自身の意図したところでないことはないことは明らかで、頭部、下半身の黒、喉元の白、胴体のあざやかな黄色と、この素敵なデザインは誰がしたのだろうか。

と思った瞬間、自分の風体についても同じことを感じたわけで、自分のことでありながら、自分の意志のまったく関係しないところで、自分の格好なり、顔なりが与えられて、それがお前だとされているわけで、なんとも不思議なことである。

何一つ自分のものではなくて、だが、もっとも自分に近しい自分として存在しているわけだが、気付けば不思議としかいいようがない。ここらあたりから、神が出てくるのかもしれない。

だが、そう簡単には考えたくない。神がいるともいないとも、わからないなかで、意識を持つものの特徴として、この不思議さを味わう他ないのである。


正義、幸福

2014年01月05日 12時45分52秒 | 思考試行

結構、この言葉が氾濫している。紛争が世界各地でおこり、日本でもいつでも戦争ができる準備としか思えない動きが活発となっているなかで、現実に考えなければならない、真面目な課題だからだろう。

現安部政権が、議会での安定勢力となり、今や、やりたい放題で、積年の彼等の望みを実現しようと公約にもなかった秘密保護法を成立させた。大きな準備活動である。

国民の安心、安全といいながら、憲法を変え一人前の国家として、昔の戦争できる日本を「取り戻そう」というわけだ。国民は、赤紙一枚で、徴兵され、国家という名目のもと、実質は、資本、権力に奉仕させられ、本人の命だけでなく、家族まで悲嘆のどん底に引きずり込んだ。

中国、北朝鮮、そして韓国大統領の嫌日ぶりをみると、安部政権にとっては、まさに追い風となり、世論が揺さぶられている。まことに危険な状況である。

戦争が如何に悲惨で、国民にとって、決して踏み込んではならないところであっても、軍需産業が現実に存在し、ビジネスとして大きな力を持っている現状では、背後で、情報を、コントロールし、かれらの意図する方向へと誘導する動きが展開されている実態を知らなければ、いつの間にか、戦場にいることとなりかねない。

正義や幸福の言葉も、よくよく吟味しなければ、戦争勢力の、口実のタネになりかねないのである。


もう戻れないのか、戻るのか

2014年01月04日 08時33分47秒 | 思考試行

どこまでも、今の調子でいくわけにはいかない。これは、明らかなようだ。もはや、地球のキャパシティを越える可能性というより、すでに越えてしまっている。

アメリカや、日本のような状態に世界がなってしまうと、地球はもたない。では、どうするのか。火星探査は、すぐ近い将来ではないにしろ、もうすでに、移住の可能性も視野に入っているのかもしれない。

ただ、最近は、近所でも空き地、空家が増えてきている。小さい子供を見かけない。家族構成がわかる範囲でみても、もう自然には増えない。というか、すでに先が見えている。

少子高齢化は、いつのまにか、身近になっていて、もう何年も経たないうちに、近所はガラガラになってしまいそうである。

どのようにこれが補完されていくのか。マンションやタワービルが立ちまくっているけれども、はたして、こんなにいるのだろうかと心配になる。

昔に戻ることは、不可能かもしれないけれども、少なくとも現状ではそのまま進めないことは明らかなのだから、それは、念頭においていなければならない。