誰が提供しているのか、多分マイクロソフだろうが、壁紙がどんどん変わるようになった。こちろの意志ではなく、誰かが自分のコンピュータの表紙を変えているので、いささか文句があるといいたいところ、この写真群は、それぞれどうやって撮影したのかと思わせる力作ぞろいで、感心して鑑賞するしかない。
ところで、今の写真をみて、感じたのは、、この写真に写っている敏捷そうな動物の姿は、彼自身の意図したところでないことはないことは明らかで、頭部、下半身の黒、喉元の白、胴体のあざやかな黄色と、この素敵なデザインは誰がしたのだろうか。
と思った瞬間、自分の風体についても同じことを感じたわけで、自分のことでありながら、自分の意志のまったく関係しないところで、自分の格好なり、顔なりが与えられて、それがお前だとされているわけで、なんとも不思議なことである。
何一つ自分のものではなくて、だが、もっとも自分に近しい自分として存在しているわけだが、気付けば不思議としかいいようがない。ここらあたりから、神が出てくるのかもしれない。
だが、そう簡単には考えたくない。神がいるともいないとも、わからないなかで、意識を持つものの特徴として、この不思議さを味わう他ないのである。