妻の朋子とは、結婚して、40年になろうとしている。子供がいなかったので、夫婦としては、苦労知らずということになるが、秦吉が心筋梗塞で、52歳のときに倒れ、以後、病院との縁は切れずに、朋子の不安は、夫の健康問題であったといえる。少しの変化にも、心配してしまう。秦吉にすれば、有難く感じるのではあるがなるべく、変化を悟られないようにという気分もはたらいて、不整脈が起きたときなど、隠すようなこともあった。2度ほどの、狭窄があって、その都度カテーテル治療を受けている。一度治療するとなると、前後にカテーテルの検査があるので、合計すると、9回ほどカテーテルを経験している。術後の止血処理、その後の安静、けっこうわずらわしいものである。不整脈の治療も、起きた都度、点滴でなんとか止めていたけれども、医師のすすめもあり、アブレーション手術をうけている。秦吉本人は、さほど負担には思っていないが、朋子にとっては、心配ごとの最大のものであった。しかし、病気の体験は、夫婦にとって、マイナスばかりではなく、得るものも多かった。困難に、立ち向かう戦友という絆が、生まれた。