----これって
岩井俊二監督の新作ニャんだよね。
ずいぶん、久しぶりって気がするけど…。
「そうだね。
長編映画に限って言えば『花とアリス』以来。
なんと8年も経っているんだ。
つくづく、時のすぎるのは早いと、
そう思わざるを得ないね」
----でも、映画の活動はしていたんでしょ。
「うん。
ドキュメンタリー『市川崑物語』を監督したり、
『ニューヨーク,アイラブユー』の一挿話を
オーランド・ブルーム、クリスティーナ・リッチ主演で撮ったり、
はたまた、『friends after 3.11』にも参加したり…。
ただ、劇映画で長編となったら、
やはりその注目度は俄然高まる」
----そうだよね。
一時は、時代の寵児のように言われたもの。
「『Love Letter』は確か、
韓国で大きな話題を呼び、
日本映画ブームの火付け役となったんじゃなかったかな。
いま、思うと、あの中に会ったロマンティシズム、
そして、ファンタジーと言ってもいいようなお話は
もしかしたら、韓流映画の原点になったのかも…。
続く『スワロウテイル』は、
一転して、カオス的な日本を予見したかのような
ちょっと猥雑なエネルギーに溢れていた。
そしてインターネット上で始めたインタラクティヴ小説を映画化した
『リリィ・シュシュのすべて』で決定的な名声を手にする。
ここでは、いま日本で大きな問題となっている
10代の“イジメ”が扱われていたことも要注目だ。
と、こうやって観てくると、
この岩井俊二監督というのは
その時代時代を見事に掬い取っていた気がする。
その彼が、こんどは“ドラキュラ”。
実は、ここにぼくは少し不安を感じていたんだ。
キャッチコピーが
“惹かれあう孤独な魂たち
この世の果ての恋物語”――。
ビジュアルも木漏れ日の中の男女。
デビッド・ハミルトンとまではいかないけど、
リリカルな感じで、
物語の起伏に乏しいのではないかと…?」
----確かに、なんか静謐な感じ。
「ところが、
実は、ここにも岩井俊二らしい
時代への予見性は覗いていた。
今回の物語は、
病身の母親と暮らす高校教師サイモンが、
あるウェブサイトに集まる“死にたい少女たち”に
血を求めて寄り添う…というもの。
元より、岩井俊二は“自殺願望者を探し、狩る殺人者”という
ストーリーのアイディアを考えていたらしい。
ところが、同じ頃、似たような事件が日本で起きた。
被害者をインターネットで見つけ、
彼らの自殺を幇助する殺人鬼…。
そこでこの企画は一端ストップする。
社会的に問題が大きすぎるものね。
そしてさらに時が経ち、
形を変えて生まれたのが
この“ヴァンパイア”だったというわけだ」
----ニャるほど。
最近、若い監督たちは
どちらかというとゾンビのほうが好きなようだけど…。
「洋の東西を問わずね。
でも、かつては“ヴァンパイア”こそ、暗闇の王だった。
大林宣彦は個人映画『EMOTION 伝説の午後 いつか見たドラキュラ』で
自主映画界の人気者となり、
その後の世代の大森一樹は吸血鬼の映画を撮る学生たちを主人公にした
『暗くなるまで待てない』脚光を浴びた。
闇の中でいしか生きられない=映画。
ドラキュラは映画の象徴でもあったんだね。
そう言う意味では、実はこの『ヴァンパイア』は画期的。
昼日中でも活動する。
これは従来のドラキュラ映画の枠の中には収まりきれない。
ここで彼がドラキュラを引き合いに出して描いているのは
血への妄執を持つ男と死に取りつかれた少女。
このドラキュラは、頼まれて死への手伝いはするものの、
決して殺人は犯さない。
ヴァンパイアを信奉するひとりの男が通りすがりの女性を襲うのを見て
気分が悪くなって吐いてしまうほど」
----繊細ニャんだね。
「そういうことかな。
サイモンの母親は部屋でたくさんの風船のついた拘束衣を着せられている。
これにしても、少しでも腰の負担が軽くなるように、
そして部屋から徘徊しないようにという
彼独自の優しさからきているんだ。
ところが、サイモンのそのようなささやかな日常は、
ある闖入者の利己的行為で壊されてしまう。
と、まあ、お話はここまででいいかな。
この映画の重要なポイントのもう一つは、
岩井俊二が初めて
全編英語で脚本を書き、英語で演出したということ。
この成功如何で、
さらにグローバルな活躍が期待されるだけに
ヒットしてほしいところだね」
フォーンの一言「主演は『トランスアメリカ』のケヴィン・セガーズなのニャ」
※脚本・監督・撮影監督・音楽・編集・プロデュース、すべて岩井俊二だ度
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