ラムの大通り

愛猫フォーンを相手に映画のお話。
主に劇場公開前の新作映画についておしゃべりしています。

『ノルウェイの森』

2010-10-15 22:52:11 | 新作映画
----ほほ~っ。ツイッターで呟いてはいたけど、
まさかこの映画から来るとは…。

「うん。原作があまりにも有名な大ベストセラー。
いまさら物語について語る必要はないし、
主人公の思考や行動がどうという話もしなくていい。
映画としての見どころを語ればいいからね」

----えっ、見どころ?
そんなことやっていいの?
村上春樹ファンからの抗議殺到しそう。

「“見どころ”というのは、ちょっと言いすぎかな。
この映画を観てぼくが感じたこと…と、少し引いちゃおう。
フォーンも知ってのとおり、
この原作は村上春樹を一躍有名にした作品。
ところが、それ以前から彼の作品の愛読者だったぼくにとっては
それまでとは全然違う純文学の王道的な世界に
ついていけなかった記憶がある。
もっとも、語られているのは“鼠シリーズ”に通じる喪失と再生。
ただ、寓話的だったそれまでの作品に比べ、
直截的性表現をも含む男女の愛が前面に押し出されていた。
で、まず一読して思ったのが
よく、この時代(1987年)にこんな“暗い”小説がヒットしたなということ。
主人公のワタナベの友人キヅチは自殺。
その恋人・直子はワタナベと再会して男女の関係になるが、
以後姿を消してしまう。
その間に、ワタナベの前には緑と言う女性が現れる。
直子は精神のバランスを崩して山奥の療養所に入っており、
それと対比されるかのように緑のいきいきとした姿が描かれる。
で、ぼくはといえば、当時、緑の方に惹かれていたんだけど、
その理由が、今回の映画を観てよく分かった。
自分のとった行動に誠実であろうとするワタナベは
直子のいる世界に、深く引きずり込まれていく。
そんな彼をこの現実に繋ぎとめているのが緑。
と、これはぼくの勝手な解釈だけどね。
もし、緑が現れなかったら、
ワタナベは直子と一緒に向こうの世界の住人となって帰ってこなかった可能性もある」

----あらら。結局、ストーリーを話している。
「う~ん。そういうつもりじゃないんだけどね。
この映画、途中まで、まるで韓国映画を観ているかのような肌触り。
あるいは、1960~70年代の日本映画といってもいいかな。
なんとも言えない懐かしさがある
昨今のベタ~っとしたデジタル映像とは趣を異にしているんだ。
撮影のマーク・リー・ビンビンはバイバーという
あまり日本映画には使用されていないキャメラを使ったようだけどね。
このことひとつとっても、監督トラン・ユン・アンの意気込みが
いかに凄かったかが分かる。
それは音楽にしてもそう。
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』でも他とは全く違う音楽のアプローチを見せた
ジョニー・グリーンウッドがギター・ソロから
オーケストラ・サウンドまでありとあらゆるサウンドで、
物語に、あるいは登場人物に寄り添っていく。
ある意味、音楽を聞いているだけで、
そのシーンが、いかに重要か、
あるいは、映画の中のどういう位置にあるかが分かってくる」

----つまり、計算されつくしているってことだニャ。
「そうだね。とても繊細に映画を紡いでいる。
もちろん、それは撮る上での心構えのこと。
手法と言う意味じゃない。
たとえば、クライマックスの草原における直子のセリフは1カットが5分5秒という、
大胆なアプローチをも見せる。
また、草原のふたりを包む風が印象的なシーン。
ここでは、わざわざヘリコプターで風を起こしているというんだ。
ワタナベを演じる松山ケンイチの抑えた演技も
原作のイメージにピッタリ」

----でも、
菊池凛子の直子は合わないような気も…。

「小説というのは、
読んだ人の数だけのイメージがある。
それは風景しかり登場人物しかり。
水原希子演じる緑、
そして彼女以上に直子のイメージは
ぼくの抱いていたそれとは違っていた。
でも、こんな解釈もありだなと思わせる、
その力が菊池凛子にはあったと思うよ」


            

 (byえいwithフォーン)

フォーンの一言「これはヒットしそうだニャ」ぱっちり

※また、村上春樹ブームが巻き起こりそうだ度

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