----これって市川準監督の映画だよね。
彼の映画って、どことニャくオトナっぽいよね。
「うん。
彼はデビュー作『BU・SU』のときから
すでに才能の片鱗を伺わせていた。
80年代に雨後のタケノコのように出てきた
異業種監督たちの中でも
一頭抜きん出ていたね」
----どういうところが違ったの?
「CF出身の監督によくありがちな気負いがないんだね。
映像的な遊びに走ることもなく、
じっくりとヒロインの内面と向かい合う。
その姿勢は一昨年の『トニー滝谷』でも不変。
商業性からはほど遠いところにいる。
今回もその辺りを覚悟して行ったんだけど、
これが意外に親しみやすい作り」
----確か、これってイジメをモチーフにしてるんだよね。
前に『問題のない私たち』という映画もなかった?
「うん。あの映画も好きだけどね。
ただ、この映画の目新しいところは、
ヒロイン・寿梨(成美璃子)自身はイジメにはあっていないこと。
彼女は学校では目立たず、家でも良い娘の役割を演じている。
一方、寿梨の小学生時代の同級生・日南子(前田敦子)は
優等生からクラスで無視される存在に転落。
やがて高校生になった寿梨は
日南子が転校したことを知り、
偶然を装いながら日南子に携帯メールで
架空の物語を送り始める。
もちろん自分の正体を隠してね」
----架空の物語ってどういうこと??
「それは『みんなに愛されるための物語』。
この映画の切ない痛みは、ここにある。
いまの子供たちは、ただ漫然とは生きていない。
自分がみんなに無視されないため、
もうひとりの自分を演出しなくてはならないわけだ。
この映画で寿梨は
『奇数人のグループを見つけて合流すること』だとか
『テストは平均の3点上を目指す』と言ったことを
日南子に教える」
----つまり愛されるための“努力”が必要ということだね?
「そういうこと。
さて主人公たちはやがて
どれが本当の自分か悩み始める。
日南子はもちろんのこと、
“愛されるための方策”を彼女に伝授している寿梨だって、
結局はそういう自分を演じているわけだけだからね」
----でも、こういう言葉ってない?
「演じている自分もまたほんとうの自分だ」って…。
「鋭いね。
市川監督はそんな彼女らに
『世界はもっと広い。強く生きて欲しい』というメッセージを投げかける。
おそらく、近年の市川監督の映画でも
もっともメッセージ色が強い一本じゃないかな」
----でもそのメッセージが
同世代の人たちに伝わらなくては意味がないよね。
「うん。
いいところを突いてきたね。
今回の市川監督の映画は
これまでになく平明でさわやか、
とても分かりやすい作りとなっている。
分割画面によるふたりの対比、
そしてその間を行き交うメール。
こんなにもしなやかで、
それでいてビビッドな市川監督の映画は初めて観た」
----女の子の友情とメールと言えば
『子猫をお願い』を思い起こすけど…?
「あっ、少し似ているかも。
この映画では、
そのメール文字がときにざわつき、ときに揺らめく。
文字に彼女らの感情が乗り移っているんだね。
日本映画でパソコン文字を最初に見せたのは
森田芳光監督の『(ハル)』(だと思う)。
そこでは<新しい意思の伝達方法>=パソコン文字を
まるでサイレント映画の字幕のように写し出し、
観客に一種の緊張感を与えていた。
それから何十年も経ったというわけでもないのに、
時代はすっかり変わったね」
----ニャんだか、話がそれていない?
イジメの映画の話をしているのに少し不謹慎。
ん?この話。ぼくから言い出したんだっけ?
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーンはメールがなくても感情を伝えられるニャ」
※観終わった後はさわやかになれる度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)
彼の映画って、どことニャくオトナっぽいよね。
「うん。
彼はデビュー作『BU・SU』のときから
すでに才能の片鱗を伺わせていた。
80年代に雨後のタケノコのように出てきた
異業種監督たちの中でも
一頭抜きん出ていたね」
----どういうところが違ったの?
「CF出身の監督によくありがちな気負いがないんだね。
映像的な遊びに走ることもなく、
じっくりとヒロインの内面と向かい合う。
その姿勢は一昨年の『トニー滝谷』でも不変。
商業性からはほど遠いところにいる。
今回もその辺りを覚悟して行ったんだけど、
これが意外に親しみやすい作り」
----確か、これってイジメをモチーフにしてるんだよね。
前に『問題のない私たち』という映画もなかった?
「うん。あの映画も好きだけどね。
ただ、この映画の目新しいところは、
ヒロイン・寿梨(成美璃子)自身はイジメにはあっていないこと。
彼女は学校では目立たず、家でも良い娘の役割を演じている。
一方、寿梨の小学生時代の同級生・日南子(前田敦子)は
優等生からクラスで無視される存在に転落。
やがて高校生になった寿梨は
日南子が転校したことを知り、
偶然を装いながら日南子に携帯メールで
架空の物語を送り始める。
もちろん自分の正体を隠してね」
----架空の物語ってどういうこと??
「それは『みんなに愛されるための物語』。
この映画の切ない痛みは、ここにある。
いまの子供たちは、ただ漫然とは生きていない。
自分がみんなに無視されないため、
もうひとりの自分を演出しなくてはならないわけだ。
この映画で寿梨は
『奇数人のグループを見つけて合流すること』だとか
『テストは平均の3点上を目指す』と言ったことを
日南子に教える」
----つまり愛されるための“努力”が必要ということだね?
「そういうこと。
さて主人公たちはやがて
どれが本当の自分か悩み始める。
日南子はもちろんのこと、
“愛されるための方策”を彼女に伝授している寿梨だって、
結局はそういう自分を演じているわけだけだからね」
----でも、こういう言葉ってない?
「演じている自分もまたほんとうの自分だ」って…。
「鋭いね。
市川監督はそんな彼女らに
『世界はもっと広い。強く生きて欲しい』というメッセージを投げかける。
おそらく、近年の市川監督の映画でも
もっともメッセージ色が強い一本じゃないかな」
----でもそのメッセージが
同世代の人たちに伝わらなくては意味がないよね。
「うん。
いいところを突いてきたね。
今回の市川監督の映画は
これまでになく平明でさわやか、
とても分かりやすい作りとなっている。
分割画面によるふたりの対比、
そしてその間を行き交うメール。
こんなにもしなやかで、
それでいてビビッドな市川監督の映画は初めて観た」
----女の子の友情とメールと言えば
『子猫をお願い』を思い起こすけど…?
「あっ、少し似ているかも。
この映画では、
そのメール文字がときにざわつき、ときに揺らめく。
文字に彼女らの感情が乗り移っているんだね。
日本映画でパソコン文字を最初に見せたのは
森田芳光監督の『(ハル)』(だと思う)。
そこでは<新しい意思の伝達方法>=パソコン文字を
まるでサイレント映画の字幕のように写し出し、
観客に一種の緊張感を与えていた。
それから何十年も経ったというわけでもないのに、
時代はすっかり変わったね」
----ニャんだか、話がそれていない?
イジメの映画の話をしているのに少し不謹慎。
ん?この話。ぼくから言い出したんだっけ?
(byえいwithフォーン)
フォーンの一言「フォーンはメールがなくても感情を伝えられるニャ」
※観終わった後はさわやかになれる度
人気blogランキングもよろしく
☆「CINEMA INDEX」☆「ラムの大通り」タイトル索引
(他のタイトルはこちらをクリック→)