ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

熊野古道 海南の災難 1

2014年09月20日 21時03分52秒 | ウォーキング

さあて、満を持して熊野古道歩きを再開です。

天満の八軒屋浜をスタートして、
途切れ途切れに和歌山県の海南まで歩いてきました。
このあたりからは、行くのも帰るのも遠くて
そちらに時間がかかるため、
日帰りだとどうしても歩く距離が短くなってきます。

でもまあ、急がず慌てず進めていきましょう。

今回は海南からの歩行です。
車に乗って海南まで行き、
歩いた後電車で再び海南に戻り
車で帰宅ということになります。

前回海南に伊太祁曽から歩いて
海南に到着した時に確認しておいたのですが、
ありがたいことに、海南駅の周辺には
コインPが多くあります。
しかも24時間最大300円という安さ。
これはもう利用しない手はないですね。

少し曇り具合の早朝、
車に乗ってさあ出発です。

ところがです。高速道路に入ったところで
大変なことに気がつきました。

カメラをバッテリーを充電したまま
家に忘れてきてしまったのです。

ドヒャー、これはもう携帯で撮るしかありません。

海南に向かっていきなり災難です。

少しでも充電を増やしておこうと
早速車内で携帯の充電をしつつ、
海南に向かったのでありました。

久しぶりの熊野古道に
うかれていたのかもしれません。

海南に到着し



予定通りコインPにとめ、
気を取り直してさあ歩行開始です。
携帯のバッテリーを少しでも長持ちさせるために、
今回はナビはなしとしました。

スタートは午前8時25分。

コンビニで昼食を調達し、
宝来橋から海南の町に入っていきます。



あちこちの家には紀州漆器の産地らしく
漆器でできた「熊野街道」の看板が掲げられています。



前回見覚えのある看板を見ながら



熊野古道と別れた、一の鳥居にほどなく到着です。
さあ、ここから道をつなげていきましょう。



「熊野古道」と書かれた提灯が、
道や軒先にぶら下げられているのも、
雰囲気がありますね。



さて先ずは祓戸王子を目指し、
看板のあるところを左折し、



山の中に入っていきます。

ここがねえ、大変でした。

主に竹やぶの中の道を進んでいくのですが、
顔の周りに蚊が飛び交い
草むらにはスズメバチの姿も見えます。
いきなりムシムシ警報発令です。

おお~、これもまた災難だあ。

竹やぶの中は竹の切り株なんかに水が溜まり、
そこに大量の蚊が発生します。

山道に沿って、たくさん並んでいる
小さな石仏達を撮影していると、







周りをブンブン虫が飛び回る状況でした。

挙句には、携帯カメラを構えている
その指にまで虫がたかってきます。

見たところヒトスジシマ蚊ではなさそうですが
これはもうムシムシ特別警報に切り替えねばなりません。
先が思いやられます。

かなり奥まで入っていったところに、
祓戸王子跡がありました。

昔はここから、藤白神社や藤白坂が
一望できたそうですが、
周りの様子はどう見ても山の中で
どうもそんな感じではありません。
しかも石碑には「祓戸神社々趾」と刻まれているものの、
社殿があったような場所にも思えません。

いつの時代かに移設されたのかもしれません。
資料ではもっと古道沿いに社殿があったという人もいるそうです。

とりあえず撮影をして、



ムシムシ特別警報が出ている中を
慌ただしく下りました。

古道に戻ると警報は解除です。
再びルンルンと歩きはじめました。

今度は右手に「鈴木屋敷」が見えてきます。



熊野信仰を全国に普及させるのに
重要な役割を果たした
藤白の鈴木氏が住んでいた屋敷跡です。

名所図会にも登場するそうです。



見る限りかなり荒れており、
現在は周りに足場が組まれて
整備する計画が進められているとのことです。



ここは、全国に200万人といわれる
鈴木姓の人のルーツといわれており、
こんな旗が建っていたり、



藤白神社内にはこんな表示もありました。



こういう姓のルーツは熊野古道の出発点
天満の八軒屋浜にもありましたね。
たしか「渡辺」姓のルーツでした。

ちなみにdoiron姓のルーツは
現在の生息地であります。

さあ、いよいよ五体王子のひとつである
藤白神社に入っていきます。



続く。