ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

柿くへば 3

2014年09月27日 21時43分48秒 | ウォーキング

関西の人間ならたいてい子供の頃に
校外学習で法隆寺に来ているでしょう。
この日も、小学生の団体が、
次から次と観光バスで乗り込んできていました。

見ていると、子どもたちは皆、
手に手に使い捨てカメラ(レンズ付きフィルム)を持ってます。
それも全員同じものです。
デジカメや携帯を禁止にして
学校から支給しているんでしょうねえ。
今どき現像してくれるところを探すのが
大変なのではとちょっと心配してしまいます。
そのうち使い捨てデジカメもでるかもね。

それはともかくとして、doironも
入場料1000円を払って、
世界最古の木造建築の伽藍が建ち並ぶ
西院に入っていくことにしました。



回廊に囲まれて、五重塔と金堂が並んで建ち、
奥には大講堂が見えています。



敷地が大きすぎて全部がカメラに納まりきれませんでした。

ここにある圧倒的な仏像及び壁画群を
いちいち取り上げて紹介すると、
きりがないのでやめましょう。

とにかく聖徳太子はこの法隆寺で
涅槃の世界を築き、
人々を仏教で統制することで
国を治めようとしたんですね。

彼の政治はこの先の夢殿の地下にある
斑鳩宮で執り行われていたそうです。

推古天皇の摂政として官位十二階や
十七条の憲法を定めました。
「和を以って貴しと為す」っていう例のやつですね。

人心を鎮め、穏やかな国にしたい
という彼の志の高さが、
彼の行動すべてを支配していました。
そう、ある意味古代における
官兵衛のような人だったのですねえ。

西院を出て、今日の目的のひとつ、
子規の俳句が刻まれた石を訪ねました。

聖霊院の前にある鏡池のふちに立っているはずです。
場所はすぐにわかりました。
ガイドに連れられた子供たちが群がっていたからです。

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」。

折しも鐘がゴーンとなりました。



石碑を見ると俳句の前に前置きがありました。
「法隆寺の茶店に憩いて」と刻まれています。
初出は1895年の句です。
この地を訪れた正岡子規の心情と休憩姿が思い浮かび、
静かな秋の気配がにおい立つ句ですねえ。

彼の他の作品は知らなくても、
ほとんどの人がこの句を知っています。

わずか17文字が彼の業績を
後世に残しておるというわけですね。
いくら記事を書いても決して後世まで残ることのない、
貧相なライターとはえらい違いです。

柿食へば・・とつぶやいていると、
お腹がすいてきました。
ここらで一旦昼食休憩にしようと、
先ほどの南大門の門前にあったお店まで戻りました。
門前の、南大門が見渡せる店の二階の
食堂に入ることにしました。

注文したのはこれ。



うどん太子鍋と柿の葉ずしのセットです。
九月半ばとはいえ曇っているからか
ほとんど暑くなく、暖かい鍋が美味でした。

あ、ビールはもちろん車なのでありません。

次々と大勢の子どもたちが、
吸い込まれていく南大門を眺めながらいただきました。

さあ食後は少し距離を稼ぎましょう。
まだここまで6キロしか歩いていません。

先ずは大宝蔵院に向かいます。

榊獏山揮毫の扁額がお出迎えです。



それを見ながら、中に入っていきますと、
これまで見慣れたふっくらとした仏像と違って、
やけに細面の仏像が建っていました。

法隆寺の本尊である「百済観音」です。

どことなくお顔が飛鳥寺の大仏に
よく似ています。



なんでも聖徳太子と等身大で作られているそうですが、
実際の像高は2mを超えていますので、
いささか誇張されているようです。

そして次に夢殿に向かいます。

西院伽藍の前から鏡池の横を抜け、
東大門をでますと、
石畳の先に夢殿が姿を現します。



お、道標です。



なになに、「西院大伽藍是ヨリ西三」。

どっひゃー、法隆寺の境内が広いので、
道標が境内の道を案内していました。

このお寺には近隣の小学生もたくさん来ますが、
遠方だと修学旅行で来たりするのでしょう。

学生向けのお土産テントもありましたよ。



お、しかまろくんもいるんだってよ~。



続く