ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

葬儀の心得 1

2014年09月02日 22時05分29秒 | 最近の出来事

え~、葬儀というのは突然に訪れるものです。
あらかじめ予約もできないし
前もって準備しておくというのも
なんとなく気がひけるものです。

しかし、急にやってくるその時を
慌てず騒がず迎えるためには
すこしでも
心づもりをしておくことが
有効であると思います。

そこで、今回の親父の一件を
書き留めておくことで
自分の記録としてとどめておきたいし、
読者の皆さんの将来どこかでの少しでも参考になればと思いますので
葬儀にいたる顛末を書いておきましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
退院したての頃は、施設で母親と
楽しそうに食事をしていた親父。

それがもう退院二日後には発熱し、
点滴で栄養分を摂取せざるを得ない結果になった。
せめてひと月は大丈夫かなと思っていたけど
想定外に早い発熱だったなあ。

しかしその熱も4日目には下がりはじめ、
5日目には肺の炎症も一見治ったようになり、
親父は不死身だと思わせる場面もあった。

結局その日は医者の許しを得て、
持参していったチョコレート味のコンデンスミルクを



甘い甘いと嬉しそうに食べさせてあげることができた。

そして食後は母親と手もつないでランデブー。
その時の写真が
親父の最後のワンショットとなった。
重い決断だったけど
退院させてよかったなあと、ミセスと
喜んで帰ってきたその日の夜の
午前0時過ぎだった。

枕元の電話が鳴った。

こんな時間に鳴る電話はロクなことがない。
心して電話を取ると、
どうも具合が悪そうだとのこと。

状況を聞くと、
息をしていないように見えるらしい。
それは大変と
とるものも取りあえず慌てて駆けつけると、
親父はベッドの上で眠るように亡くなっていた。

つい15分前までは、
訊きとりにくいながらも、
会話をしていたそうだが、
次に行ったときには
そんな感じだったということだ。

これまでの病状をすべて勘案すれば、
もともと病気のあった心臓が
肺炎によりますます弱まり
静かに静かに役割を終えて
停止したということだろう。

医者の診断書では、死因は「肺炎」。

8月30日午前1時19分に
死亡が確認された。

そしてそこから、
見送りの儀式は始まったのである。

先ずは施設の人による、
清拭が行われた。
きれいにしていただき、
浴衣まで着せていただいて、
最後はベッドで静かに
寝ているような姿になっていた。

その間に、
村で御馴染みの葬祭会社に電話をすると
3時半に寝台車に迎えに来てくれるという。

それまでの間、無言の親父のベッドに
独りで付き添った。

ミセスに家を片付けておいてもらって、
4か月ぶりに親父はその寝台車で家に帰った。
ここ最近の入院期間は二回で合計3か月。
5月に入所し施設で母親と過ごしたのは
ひと月あまりであるものの、
それは幸せな期間であったに違いない。

手元にある亡くなる数時間前に撮影した、
スーちゃんと楽しそうにしている写真をみながら
そんなことを考えた。

あのまま病院を転々としながら
寝たきりで着地することを思えば、
幸せだっただろうと思う。
いや、思いたい。

家で親父を寝かせてから、
枕元で業者さんと葬儀の打ち合わせをした。

日にちと時間を決め、
祭壇を選び、弔問客の数を予想しながら、
葬儀の規模を決めていく作業となる。

ちなみに我が家は「浄土宗」です。

あ、なので神棚には白い半紙を垂らしておくとよいそうだ。

夜明けすぎに、町会長とお寺さんに電話をし、
日時の最終決定をし、
ついで親戚にも連絡を回した。

やがてぞろぞろと伝言ゲームで訃報を聞いた
村の人々が続々と我が家に弔問に訪れてきた。

生前時の様子から亡くなるまでの、
親父の最後の着陸の様子を
弔問客ひとりひとりに丁寧に説明をさせていただいたが、
ひっきりなしなのでこのあたりで
かなりグロッキーになってきたが、
そんなことも言ってられない。

そして、こちらの祭壇の準備が整った頃、
駆けつけてきたお寺さんによる
枕経(まくらきょう)の読経が始まった。

近所の親戚も何名か混ざって
それを一緒に唱えさせていただいた。

早朝に村中に響く、
鐘と木魚の音。

もうこれで村中に知れ渡っただろう。

亡くなったのは土曜日になってすぐの頃。
本来ならその日にお通夜で、
翌日告別式でも可能なのだが、
日曜日が友引にあたるため、
告別式を月曜日に伸ばすことにした。
そうすれば、一日でも長く
親父は家に居られるし、
こちらの準備も落ち着いてできるてなもんだ。

時間はどんどん過ぎていき
そうこうしているうちに、
村の大師講の人達約20人による
「御詠歌」も始まった。

ありがたいことである。

みんな帰り際に、
親父に親身になって声をかけていただいた。

夕方近くになって葬祭センターに
頼んでおいた遺影が出来上がった。
その写真は先日、
写真整理をしたときに出てきたもので、
3年前とそんな古くない写真であるにもかかわらず、
棺の中の親父は痩せて変わり果てているのが
とても不憫だったな。

そして、翌日午後4時に
葬儀のために
親父は我が家から出棺し、
葬儀会場へと向かったのでありました。

続く