ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

太子たもんだ 4

2014年09月15日 21時02分42秒 | ウォーキング

最近、ブログの閲覧者数が1000人を超え、
急に増えています。
一体誰がこんなだらだらと長いブログを
我慢して読んでくれているんでしょうかねえ。
ありがたいような申し訳ないような気持ちで、
今日もせっせとしたためています。

でもまあ、ご愛読ありがとうございまちゅ。

さて、シリーズ第4話、最終話です。
広々として、こんなところに
自分の墓をつくりたいかもと思わせるような
気持ちのいいところにあった
推古天皇陵から次に向かうのが、
今回設定したグルリンパコースの最終目的地

「用明天皇陵」です。

用明天皇は聖徳太子の実の親にあたります。

このあたりは静かな環境、
王陵の谷ということもあって
墓地が目立ちます。

なので、石材店や仏壇店も多くありました。



のどかな田舎道から住宅の中に
入ってきたところに用明天皇陵がありました。



在位期間が2年足らずと短いにもかかわらず、
一辺100mの広大な方墳に埋葬されているのは、
やはり聖徳太子の父であったからでしょうね。



それにしてもこのあたりは
太子ゆかりの重要人物が多く眠っています。

さすがに「太子」町というだけのことはありますね。

大したもんです。

とさり気なくタイトルを書いておきましょう。

今回は歩きはじめのGPSセットを
ついうっかり忘れておりましたので、
正確な歩行距離がわかりませんが、
途中からセットしたのと
地図で計測したのを合わせると、
約8キロの歩行であったことがわかりました。

先日の山の辺の道とあわせて、
秋の歩行の準備としては
まずまずの歩行といえるでしょう。

車に戻って、今回の旅のもう一つの目的地

「近つ飛鳥博物館」

へと向かいました。

近つ飛鳥風土記の丘に建つこの博物館は、
「安藤忠雄」の設計した建物です。

ん?安藤忠雄といえば
最近訪ねた司馬遼太郎記念館も
たしか彼の設計でしたねえ。

つい最近、行ってきた宝塚温泉も
彼の設計だそうです。



近頃、なぜか安藤忠雄づいています。

この博物館では山の中に突然出現する
大階段が印象的です。



この階段でコマ送り動画を作ると面白そうですねえ。

建築を通じて数々の賞を受賞した彼ですが、
この建物では日本芸術大賞を受賞しています。

玄関に回り、



その前の広場で少し遅い昼食です。

今回は玉子焼きと奈良漬の簡単なおかず
と缶詰をひとつ。
そしておにぎり2個です。



もちろん車ですからビールはありません。グスン。

普段は300円の入館料が、
特別展開催中ということで400円となります。

招待券が何枚かあるので、
来た人がいて券を買いそうになってたら
あげようと思っていたのですが、誰も来ませんでした。

常設展は同じ府立のご近所の弥生文化博物館に比べて、
解説モニターもあったりして
少し凝っているようでした。

写真撮影は、「大阪平野は昔海だった」の特別展はNG。



常設展も撮れるところと
そうでないところがあるというので
面倒なのでカメラをバッグにしまいました。

特別展では昔の大阪の地図も展示されていました。

今の大阪はその昔ほとんどが海でだったような
そんな地図でした。

そこへ上町台地が南から北へ細長く突き出ていて、
岬となっており、
その岬の先端が大阪城の辺りになっていました。

熊野街道を歩いている時に、
不自然に道が曲がっていたりしたのも
その海が淀川が運んできた土壌で
地面となるまで大半が湿地であり、
それを避けるように
道が付けられていたからということを
あらためて実感しました。

今でも地面を深く掘れば
海の名残が出てくるそうです。

先日歩いた福島あたりもそういえば、
「島」なんですから海だったわけですね。

そういったことがよくわかる展示になっていて、
来た甲斐がありました。

今年の秋の第2弾、太子グルリンパ歩行。
これにて無事終了です。