ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

山の辺の秋 1

2014年09月09日 21時57分58秒 | ウォーキング

車を転がして奈良県は桜井の駅に向かった。



ここからまだ歩いていなかった、
山の辺の道の三輪山から南の部分を歩きつつ、
秋を探しに行ってみようと思い立ったからだ。

運転しながら見上げた空は蒼く深く、
雲も夏の入道雲などはすっかりなりを潜め、
細かな千切れ雲が整列する高い空。

もうそれだけで十分秋を見つけたかもと思いつつ、
春に歩いた奈良三山を高架道路ですり抜けて、
たたなづく大和の連山を目指したのであった。

桜井駅前は思ったよりも賑わっており、
大阪で言うと・・・和泉府中の駅くらいかな。
こんな感じ。



そんな駅前のコインパーキングに車を入れ、
携帯のGPSをセットして、
さあ久しぶりの歩行開始だ。

駅の北口が山の辺の道の方面となるが、



今回は南口の方から、桜井の街を味わいながら
遠回りして山の辺の道に合流するように歩きはじめた。



でも一応北口もチェックしておこう。

駅前のロータリーに出て目につくのが、
茶色の細長いオブジェ。



そこには「芸能創生の地」と書かれてある。

あれあれ?
今春大阪市内を歩いた時にも
そんなことが書いてあったような・・・。

調べてみたら、桜井市には「土舞台」といって、
聖徳太子が若者に伎楽舞を習わせたところの碑があるとか。



そのことは日本書記にも書かれてあるそうだ。

ああ、それで「創生の地」なんやね。
そういえば聖徳太子さんはこの辺のお人でした。
で、よく見ると、そのオブジェの他の面には

「仏教公伝の地」と「相撲発祥の地」

とも書かれてある。



前者はこのあとの歩行の途中で出てくるので後述しよう。
後者は、山の辺の道を少し東にそれたところにある神社で
「當麻蹴速(たいまのけはや)」と
「野見宿禰(のみのすくね)」による相撲の
我が国初の天覧試合が行われたところがあることから
そういわれているのだそうだ。



そこは今「相撲神社」と言われている。

そうかあ、だったら我が国で初めて
全米オープンで決勝を戦った錦織クンの地元には、
テニス神社ができるかもねえ。
あ、カタカナはおかしいかなと思ったら
ネットでこんなの見つけました。



では「庭球神社」やね。

あと、オブジェのもう一面には
「万葉集発煬の地」と書いてあるそうだが、
それは見落としたなあ。

でもまあ、この地域はそう書かれてあってもしかるべしでしょう。

道の向こうには
「古代の道本舗」




「まほろばの里卑弥呼」



といったそんなお店が並んでいたりして、
山の辺感満載の桜井駅北口なのであった。

再び駅の通路を通り抜け



南口から一旦南に歩き始めた。



ほどなく「本町通商店街」の入り口を発見。

この商店街を通り抜けるのが今回のコースである。

アーケード入り口の看板には
「伊勢街道」とも書かれてあり、



また「忍坂街道」「多武峯街道」
「磐余の道」「大和長寿道」などという案内もある。



昔から交通の要衝だったわけですね。

そういえば、街道を歩くときには
商店街を抜けることが多いのは、
人が集まるから商店街として
発達していくのかもしれないな。

しばらく行くと店先の電柱の横に
何気なく立っている石を発見。

道標かと思いきや、旧桜井町の道路元標でした。



これで、大阪市、岸和田市、奈良市、名古屋市についで
5つ目の道路元標ゲットです。

商店街の中には、総じて古く珍しい店が並び、
こんな格子のきれいなお家や、



由緒ありそうな薬屋さんなども点在している。



アーケードの途切れたところで左折し、
狭い道を入っていくと、
線路の手前にあるのが「育成幼稚園」という施設がある。

築100年以上経つ木造の建物の中で
子供たちの元気な声が響いていた。

あまり、この周りでウロウロしながら
写真を撮っていても、
不審者ぽいので、
正門で一発だけ撮影しておいた。



山の辺の道にはまだ入っていないが、
歴史ある桜井市の古い家並みはまだ続く。