もう少し兼六園を歩いてみよう。
松やさくらなど緑や花も多いけど、
やはりなんといっても
この庭園の主役は“水”だろう。
有名な「徽軫(ことじ)灯籠」も「虹橋」も
園内の池「霞ヶ池」に付属している。
この池は、金沢城の防火用水とするために、
犀川上流から引き入れられた水が
こんな石管や
水路からなる「辰巳用水」という用水路を
約10kmも通り、
庭園内の曲水と言われる水路を
流れてやってきた水を湛えているのだ。
そして、さらにその水はまた
「日本最古の噴水」と言われる
池との高低差による水圧で吹き上がる
噴水にも配られる。
したがって、曲水に設けられた橋も
凝った形のものも多い。
名勝の中の見所を構成するこれらは、
「兼六園」と呼ばれる所以となった
名園の条件「水泉」に該当するスポットとなっているように、
何と言っても“水”がこの庭園の景観を際立たせている。
また豊富な水で育つ緑にも見所は多い。
庭園内には約400本の桜が植えられ、
立派な桜が多い。
その中には、ここでしか見られない
「兼六菊桜」や「兼六熊谷桜」など
庭園名を冠した希少な種類もあるそうだ。
学生の頃迎えた4回の花見の季節には、
普段は入園有料の庭園も
桜の時期は無料開放されるので
何度か訪れた記憶もある。
また、すぐ横にあった学校のグラウンドで
体育の授業のサッカーをしていた時に、
桜吹雪が舞ってきたときのことは、
色つき映像で記憶に残っている。
そうそう、1年の時に下宿していた
まかないのおっちゃんが、
「兼六園のカキツバタは朝早く『ポン!』
と音をたてて咲くがやで」と言っていたのを憶えているが、
そんな早起きはついに一度もできなかったな。
この松は「根上がり松」という。
松の根っこが上がって
地面に出てきたように見えるが、
じつは盛り上げた土山に松を植えて、
頃合いを見計らって
その土を取り除いたことにより
こんな姿になったそうだ。
気の長い育成で、
まるで大きな盆栽ともいえる松の古木である。
その名前から、訪ねてくる証券マンも多いとか・・・。
とまあ、そんな具合に
この兼六園には緑の見所もたくさんある。
このあと庭園を出て、
昔のdoironゆかりの場所もいくつか訪ねてみたが、
ほとんどが当時と変わっていた。
よく行った中華料理屋が残っていたのには感動したが、
住んでいたアパートは面影すら残っていなかったな。
道、景色、人、店、におい、音、
変わっていたものをひとつひとつ挙げればきりがないし、
変な懐古調になってしまうので控えておこう。
時間と共に町も変わっていくし、
自分も変わっていく。
それはそれで別に悲しいとは思っていない。
どちらかと言えばいつまでも
昔のままでとどまっていることの方が悲しいことだろう。
doironが変わってきたように、
多感な時代を過ごしたこの街も変わり、
今はもうあの頃の町ではなくなっていた。
そうして全ての人やものが
時間の中を旅しているのだと考えると、
結局日常を生きる事もまた旅なんだ
とあらためて教えられた。
そんな加賀百満足の旅終わり。