柳生但馬守宗厳は、
徳川家の剣術師範で
石舟斎と言われる剣の名手。
その子、宗矩は後の三代将軍となる
徳川家光の兵法指南であり、
柳生家初代藩主。
そしてその子の柳生三厳(十兵衛)は、
言わずと知れた
江戸初期の剣豪で
若冠にして柳生新陰流の術に
達したといわれている。
かようにも、剣の道に優れた柳生一族は
また権謀術数に長けており、
それはとりもなおさず
柳生新陰流の得意とする兵法であった。
家光を将軍位へ導いた手腕は、
今も「柳生一族の陰謀」として語り継がれている。
その石舟斎が剣の修業をしたといわれるのが、
現在の天乃石立神社のあるあたりである。
疱瘡地蔵を下ってきて、
笠置へと続く自動車道を横切り、
再び山中へ上っていくと、
その神社の鳥居が現れる。
うっそうとした森の中、
不思議な形に屹立する巨岩を
御神体とする神社の奥に、
石舟斎が天狗と思って切ってみたら岩だったという、
真っ二つに切られたような形の巨岩
「一刀石」
が座っている。
なんでも、石の面には
天狗の爪痕も残っているというから不思議だ。
まるで半村良の小説の世界である。
いかに剣の達人とはいえ、
岩を切るなどということはできないだろうが、
その形はまさに一刀両断というものであった。
旅の最初で出会った
首切り地蔵と同じである。
恐るべしは柳生新陰流でござるな。
そこからまた元来た道を少し戻り、
次に柳生一族の墓地があるという
「芳徳禅寺」
へと向かう。
山の日暮れは早い。
まだ三時だというのに、
柳生の里に陽は傾き
夕暮れの気配が漂い始めた。
今回のドジ旅で
初めて入館料を払って入った
境内の奥の奥に、その墓はあった。
とこの時、ついにジダンのカメラも
バッテリーが切れた。
これもまた、聖なる土地を荒らすな
という柳生一族の陰謀か。
バッテリーを取り外し、
こすったりふところに入れてあっためたりして、
ようやく一瞬息を吹き返したバッテリーで
撮影したのがこれ。
矢印が十兵衛の墓である。
そして、その二つ横の墓がこれ。
なぜか墓石が亀の背中に乗っています。
これについては、ジダンから宿題として
フラれておりますので少し書いてみよう。
このような亀の形をした台石は
「亀趺(きふ)」といいます。
江戸時代から始まった風習だそうです。
巨大な墓を築く古墳時代が終焉を告げ
神式のお墓が時にこんな形になっています。
亀は万年生きる動物であることから
永遠に墓所を守るという願いが込められているのでしょう。
このお墓は柳生藩6代藩主 柳生俊平のものです。
この墓所のある芳徳禅寺を創建したのは
柳生藩初代藩主の柳生宗炬。
そして開山した、すなわち初代住職が
あの「沢庵和尚」である。
武芸のみならず、文芸にも秀でていた
十兵衛が最初の著書である
「昔、飛衛という者あり」を書いた時
宗炬に一旦認められなかったのであるが
その沢庵和尚が教示したことで
十兵衛がようやく柳生新陰流の印可を得たという
逸話を残している。
その和尚の顕彰碑が
東京の「品川寺」にあり、それも
亀趺の上に置かれてあるというのも
何か関係があるかもしれませんが
そこまで調べることはできませんでした。
と、亀趺に関してはこんなものでいかがでしょうかね。
ああ~、それにしてもバッテリーコードさえあれば
doironの携帯も復活するのに
と思うと残念なことこの上ない。
この後も陣屋跡、八坂神社、家老屋敷と続くのになあ。
そしてなんといっても旅の締めくくりに
終了後の宴会の様子も撮れないのは悲しい。
「芳徳禅寺」を出て山を下っていく間、
バッテリーをパンツの中にいれ
温め続けたジダンであった。(くさそー)
山を下りてすぐにあるのが
「陣屋跡」。
石段をトコトコ登っていくと、
開けたところに敷地の石組だけが残っていた。
パンツの中で温めて
息を吹き返したバッテリーで何とか一枚パチリ。
八坂神社でも、またその先の家老屋敷跡でも
あと一枚だけ!とカメラに頼み込んで
何とかだましだまし撮影をすることができた。
しかし、もうこれ以上むやみに
バッテリーをだまし続けてはいけない。
最後の宴会とあわよくば笠置駅でも撮りたいから
大切に大切に扱った・・・そうな。
柳生のバス停で、
大勢の人が待っていたので訊いてみると
あと4、5分で奈良行のバスが来るとのこと。
でも奈良に帰るのは引き返すようで嫌じゃ
とジダンがごねたので
笠置まで4、5キロの道のりを走っていくことにした。
途中、山の中腹にそびえる十兵杉をパチリ。
ズームをしようとすると
たちまち電源がOFFになってしまうので、
遠景のまま撮影。
ひときわ高く、ちょうど落雷を受けて
白く枯れたようになっているのが
十兵衛杉である。
山の中のクネクネロードをひた走り、
40分ほどで笠置駅に到着。
電車の前にやっと待望の温泉である。
笠置温泉は、入っていると
つるつるしてくるとってもいい温泉だった。
ただねえ、露天風呂にざらざらの石があって
それでお尻をこすって
傷を作ってしまったんだよね。
隻眼の十兵衛に対抗して
隻尻のdoironになってしまったわけだ。
もし、お尻じゃなくて前だったら
これぞ「柳生一族の陰毛」
下ネタですみません。
カメラが元気だったらお尻の傷を撮ったのになあ。
使えないけど・・・。
そしてついにお待ちかねの宴会だ。
おつくり弁当と生ビール、
うう~最高!
やめられませんな。
しかも、何とも絶妙なトリミング。
(すでにジダンブログにまんま掲載され
二人のサムライ頭はばれているがね・・・)
そして笠置から乗った電車内でも
こんなおつまみで乾杯。
この時点でバッテリーがついにご臨終。
柳生十兵衛の痕跡を訪ね、
最後の最後にこんな写真とは。
タイトルを「柳生呑兵衛」にしとけばよかったかな。
このシリーズ、完。
お付き合いありがとうございました。
ジダンブログから流れてきた人、
今後もハブ ア ナイス doi!をご贔屓に~
柳生街道完全制覇
歩行日 平成25年11月24日
歩行距離 約25キロ
歩行時間 約8時間(休憩・ラン含む)
歩行歩数 約3万4千歩
撮影枚数 446枚
おもいで プライスレス