その3 十兵衛の弟子荒木又右衛門の痕跡の巻
春日大社の参道わきには、
春日の森の景色と一体になって、
たくさんの鹿がいる。
今は公園内に全部で約1200頭が生息しているそうだ。
神の使いとして神聖視され、
大切にされてきた名残だそうで、
昔文鎮で誤って鹿を殺めた子供が
鹿の死骸と一緒に生き埋めにされたという
悲しいお墓も残っているそうだ。
もちろん今も天然記念物であるので、
所有者がいないこの鹿たちを
いじめることは禁止されている。
とはいえ、奈良には年間3000万人以上の
観光客が訪れるということなので、
トラブルは絶えず、
こんな標識が建てられ観光客の注意を喚起している。
そんな鹿さんたちに見送られ、
二の鳥居前を右折すると、
道は一気に街道らしくなる。
春日大社の神官である禰宜(ねぎ)が通るという禰宜道、
通称「ささやきの小道」横目に、
奈良県の公式発表でさえ
本数不明とされているほど樹木が密に生い茂っている
春日山原生林の中を進んでいくと、
一旦閑静な住宅地に出る。
そこから新薬師寺は近いのだが、
ここも拝観料を払ってみるほど、
ゆっくりもしていられないので今回はスルー。
「滝坂の道」と呼ばれる山道へと入っていく。
ここからは、しばらく街道というよりは
山道の登りが続く最初の難所だ。
この道では南都七大寺の僧たちが修行をし、
柳生道場を目指す剣豪たちが往来したそうな。
トレイルランナーのジダンの頭が輝きだす。
あ、目か。
最初に目指すのが
「寝仏(ねぼとけ)」である。
寝仏ならぬ、おとぼけコンビが
石畳の山道をガッシガッシと登っていくと、
左手に現れる。
仏様の寝姿が岩に刻まれているということだが、はっきりしない。
虚無僧が尺八を吹いているようにも見えるなどと、
罰当たりなことをいいつつ
おとぼけコンビは進んでいく。
次は木陰の多い森の中でも、
夕日が降り注ぐという「夕日観音」。
このあたりは結構人も多く、何組かが足を止めていた。
そしてこれが立ち上る朝日が真っ先に照らすという「朝日観音」。
鎌倉時代の作だそうだ。
剣豪の往来を見守り続けてきた石仏だ。
そして次に現れるのが、
柳生十兵衛の弟子である
荒木又右衛門が試し切りをしたという
「首切地蔵」
胴体と首が真っ二つに切られている。
どんな刀で試し切りをしたのだろうか。
それとも柳生新陰流の極意がそこにあるのか。
このドジ旅の終盤でも、
柳生新陰流の恐るべき太刀筋を見ることになる。
この首切地蔵のところには
休憩所やトイレも設置されており、
思いのほか多くの人達が休憩をしていた。
道はここで左右に分かれるが、
我々は地獄谷石窟仏のある右側を行くことにした。
大きな池の周りは一段と紅葉が鮮やかだ。
一旦自動車道を横切って再び山中へ。
落ち葉の積もった全くの山道を歩くこと15分。
地獄谷石窟仏に到着したのは、
午前10時15分。
基本的に登り続けてきたが、
体調はすこぶる麗しい。
なのでここから久しぶりの下りを
走ってみることにした。
危険なところは徐行やけどね
ここんところ大峰や丹後の山道歩きには
ヘビーなトレイルシューズを履いていたが、
今回履いてきた靴は、
久々のトレイルランシューズ。
軽くて快適だ。
昔、この街道を行き来した人は
どんな靴を履いていたんだろう。
山道を抜けるとお待ちかね峠の茶屋に到着だ。