第137回配信です。
一、『「幕府」とは何か』への反応
(1)本郷恵子氏(東京大学史料編纂所教授)
【書評】「幕府」とは何か 東島誠著 武家政権 支配の正当性問う(日本経済新聞、2023.03.04)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD242D90U3A220C2000000/
(1)本郷恵子氏(東京大学史料編纂所教授)
【書評】「幕府」とは何か 東島誠著 武家政権 支配の正当性問う(日本経済新聞、2023.03.04)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD242D90U3A220C2000000/
(2)井上章一氏(国際日本文化研究センター所長)
【書評】「幕府」と呼ばれていなかった足利将軍家政権 「幕府」とは何か(『週間ポスト』2023.03.26)
https://www.news-postseven.com/archives/20230326_1851742.html?DETAIL
(3)濱野靖一郎氏(島根県立大学准教授)
【書評】「戦後歴史学の継承と展開」(『政治思想研究』第24号)
p358
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サブタイトルに「武家政権の正当性」とあるのは、著者が「正統」を『神皇正統記』同様「しょうとう」と読み、「伝統的支配としての血統や由緒正しさ」に限定して使用するためである。この見解には賛同できないが、ひとまずおく。
帯に「かつてないスケールの歴史書」と書かれているのも、誇大広告ではない。日本中世各政権の正当性を論じて徳川の半ばまで至る、という武家政権期の通史ともいえるものは、他にあまり思いつかない。では、本書はこれまでにない斬新な研究理論のみで構成されているかといえば、おそらく著者の意識の上でもそうではない。むしろ本書を貫いているのは、「戦時への反省に立つ戦後歴史学」の意識である。鎌倉幕府論を述べるにあたり「幕府」をどう捉えるかが「権門体制論」と「東国国家論」とを選択する根幹だと示し、「両学派ともチューニングが必要」とはいえ<死んだ言説>になってしまっている現状を問題視する。
佐藤進一、黒田俊雄以外にも石母田正や網野善彦など中世史家の学説を振り返り、先人達の学問を再確認してそれをいかに現代にも通ずる議論としてよみがえらせるか。「<生きた言説>として継承」しなければ、という問題意識は前面に出ている。そのためか、他の研究者に対して、先人の説を<死んだ言説>にする見解だ、との批判は散見される。あたかも、歴史学の「しょうとう」を示すかのように。本書への評価は、「戦後歴史学」をめぐる評価とつながっていよう。
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(4)wsfpq577 氏
https://wsfpq577.hatenablog.com/
【書評】「幕府」と呼ばれていなかった足利将軍家政権 「幕府」とは何か(『週間ポスト』2023.03.26)
https://www.news-postseven.com/archives/20230326_1851742.html?DETAIL
(3)濱野靖一郎氏(島根県立大学准教授)
【書評】「戦後歴史学の継承と展開」(『政治思想研究』第24号)
p358
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サブタイトルに「武家政権の正当性」とあるのは、著者が「正統」を『神皇正統記』同様「しょうとう」と読み、「伝統的支配としての血統や由緒正しさ」に限定して使用するためである。この見解には賛同できないが、ひとまずおく。
帯に「かつてないスケールの歴史書」と書かれているのも、誇大広告ではない。日本中世各政権の正当性を論じて徳川の半ばまで至る、という武家政権期の通史ともいえるものは、他にあまり思いつかない。では、本書はこれまでにない斬新な研究理論のみで構成されているかといえば、おそらく著者の意識の上でもそうではない。むしろ本書を貫いているのは、「戦時への反省に立つ戦後歴史学」の意識である。鎌倉幕府論を述べるにあたり「幕府」をどう捉えるかが「権門体制論」と「東国国家論」とを選択する根幹だと示し、「両学派ともチューニングが必要」とはいえ<死んだ言説>になってしまっている現状を問題視する。
佐藤進一、黒田俊雄以外にも石母田正や網野善彦など中世史家の学説を振り返り、先人達の学問を再確認してそれをいかに現代にも通ずる議論としてよみがえらせるか。「<生きた言説>として継承」しなければ、という問題意識は前面に出ている。そのためか、他の研究者に対して、先人の説を<死んだ言説>にする見解だ、との批判は散見される。あたかも、歴史学の「しょうとう」を示すかのように。本書への評価は、「戦後歴史学」をめぐる評価とつながっていよう。
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(4)wsfpq577 氏
https://wsfpq577.hatenablog.com/
東島誠『「幕府」とは何か』(2023-05-01)
https://wsfpq577.hatenablog.com/entry/2023/05/01/232216
東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』(2010-07-17)
https://wsfpq577.hatenablog.com/entry/5983063
https://wsfpq577.hatenablog.com/entry/2023/05/01/232216
東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』(2010-07-17)
https://wsfpq577.hatenablog.com/entry/5983063
二、「ガーシー」とは何か
ガーシーは出発点が変な人。
出発して以降はそれなりに理路整然と論じるので論理的に思考しているように見える。
しかし、出発点が変なので、到着点も必然的に変。
佐藤進一と石母田正は「盟友」なのか?〔2019-07-11〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5558f345f8fd45606ea3121964a1eb89
「黒田学説の核心部分は、国家が単一というより、構造が単一であることを指摘した点にある」
これは、要するに、構造主義のモノマネですね。
(参考)構造主義:あらゆる現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解するもので、フランスで発展した20世紀の思想である(ウィキによる)。
黒田学説(及び佐藤学説)を構造主義的に捉えれば死んだ学説を生きた学説にすることができる、ゾンビではないが、といいたいのですね。
「構造を束ねる者としての天皇」ですが、この天皇に相当するものを構造主義では何というのか、私は知りません。
The train came out the long tunnel into the snow country.
権門体制論と東国国家論との長い論争はどこに行き着くのか、といえば、東島説では構造なんですね。
サイデンステッカー訳には上野と越後の「国境」がなく、東島説には東国や西国などの「国家」がないという点は、胡瓜二つほどの相似です。
「どこを切っても同じ権力構造が顔を出す"金太郎飴"のような仕組みこそが、問題の核心」(p48)というガーシーの「金太郎飴」理論、私には納得できないですね。
ガーシーは「武家も公家も寺社も、荘園制を経済基盤とする相似の支配構造を持っており、どこを切っても基本的には同じ構造の、まさしく逃げ場のないシステムだ」(p46)と言いますが、荘園領主としての共通性はあるのは当然としても、それ以上の「相似の支配構造」とは具体的には何なのか。
公家(朝廷)は古代から「国家」ですから広大な領域を支配し、武家(鎌倉幕府)も「国家」、または少なくとも「国家」を志向する政治権力ですから、広大な領域を支配しますが、寺社には「国家」志向は全くありません。
もちろん、寺社は個々の荘園には執着しますが、荘園のような個々の経済単位を超えて、広大な領域を支配しようとする意志は全く持たないですね。
私見では、公家・武家と並列する「寺家」というまとまりはそもそも存在せず、個々の寺社は公家または武家を主たる顧客として個々に宗教サービスを提供する業者さんであって、公家・武家とは全く異質な存在です。
荘園領主として共通という程度では、「相似の支配構造」などとはとても言えないですね。