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0113 木下竜馬氏「治承・寿永の内乱から生まれた鎌倉幕府─その謙抑性の起源」(その3)

2024-07-08 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第113回配信です。


一、前回配信の補足

木下竜馬氏(東京大学史料編纂所助教)

0069 『逃げ上手の若君』第8巻の「火牛の計」について〔2024-04-24〕
0070 「幕府滅亡は偶然の産物であるという回答も十分ありうる」(by 木下竜馬氏)〔2024-04-24〕

「第一節 地頭─研究史の概観」の復習

<後退モデル>
 戦前の通説。大山喬平・佐藤進一も。
<拡大→整理モデル>
 川合康以降。但し、「矛盾・葛藤を欠いた機械的反復のイメージ」に単純化される傾向も。

二、「第二節 御家人制─諸研究にもとづく試論」

木下氏は河内祥輔説を高く評価。

河内祥輔(こうち・しょうすけ、北海道大学名誉教授、1943生)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%86%85%E7%A5%A5%E8%BC%94

p143
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 河内のいう「自立」とは独特の含意があり、①貴族社会の枠外から鎌倉殿のみが②後白河上皇に従属すること、と要約できる。②の要素はのちに朝廷再建運動論[河内二〇〇七]として発展していくが、筆者が興味深く思うのは①の要素である。幕府の「自立」の肝のひとつは、貴族社会に頼朝が完全に同化せず、一定の距離を維持することである。「自己抑制の精神が主従制を支えた」とする背後のロジックを河内は明言していないが、頼朝が京都と同化することで、御家人たちと朝廷との接点が増加し、鎌倉殿を介さず直接結びつくようになり、御家人集団が分裂してしまう事態を想定していると思料される。河内が評価する頼朝の自己抑制(上洛や官位昇進の自制)は、かかる事態を回避する知恵と解されよう。
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大姫問題は?

p144
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 では次に、河内の御家人制論を見よう[河内一九九八・二〇〇一]。河内曰く、平安期の武士の性向は、他の武士には従わず、朝廷に直接従属しようとするものである。これを「独立」と呼ぶ(先述の「自立」との差に注意)。すなわち武士の本質は反主従制であったが、頼朝はその「独立」の気風を否定した上に御家人制を構築した。それゆえ、頼朝の全国規模の巨大な主従制はまったく特殊で稀有な事例と位置づけられる。その内部には隔絶した階層差が歴然としてあるものの、それを超えてメンバー全員が一つの呼称を共有しており、自己が御家人か否かが裁判で争われるという特徴がある。御家人認定や帰属意識の淵源は頼朝との関係にあり、頼朝時代に認定されたか否かが以後も基準となった。そのため、御家人制は限定的・排他的性格を堅持することとなった。御家人制とは、頼朝と祖先の関係に由来する同輩意識に支えられた身分的共同体である、と河内は評価する。
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河内の御家人制論は前代と比べた特異性を強調、極めて固定的・閉鎖的なイメージ。
→近年の御家人制研究の動向とはおよそ正反対。

近年の御家人制研究の動向
(1)非均質性
(2)非完結性
(3)非固定性

「しかし、鎌倉中期からの展開過程について詳細に明らかになった一方、御家人制成立の画期性についての議論は後景化してしまったように見える」(p145)

平氏家人制との比較

p146
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 第一に、その中核部分について。平氏家人性には、譜代相伝の家人集団が確固として中心に位置した。【中略】一方鎌倉幕府には、そのような譜代の家人集団は存在しなかった。【中略】
 第二に、その周辺部分について。平氏は、掌握した国衙機構や一国を統括する「国奉行人」を通じて、坂東などの遠国武士を家人化、あるいは動員していた。【中略】
 一方、鎌倉幕府御家人制では、周辺部分が手厚い。これが平氏家人制との最大の相違点である。【中略】
 以上の特徴をまとめてみよう。平氏家人制は、時間をかけてできたため、階層性が発達しており、一門に分有されていた。鎌倉幕府御家人制は、内乱期に爆発的に誕生したため、階層性は未熟であった。一方で、裾野の広さでは御家人制のほうが圧倒的に上であり、膨大な数の武士が組織されていた。注目すべきは、そのメンバーシップの確定が非常に重視されていたことである。
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p147
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 興味深いことに、かかる平氏家人制の特徴は、鎌倉期の得宗被官にもほぼ該当する。【中略】有力な武士が、さまざまな契機により本来同格だった武士を被官化し主従制を拡大していくことは、(先述した河内の見解とは正反対となるが)中世を通じてごく自然に起きていたことである。中世の"自然"な主従制の典型は、平氏家人制や得宗の主従制であって、鎌倉幕府御家人制は"人工的"に生まれた特殊な主従制というべきであろう。
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