学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「国史学科」の樺美智子氏

2014-05-24 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 5月24日(土)22時33分49秒

戦争中から東大紛争あたりまでの東大文学部・史料編纂所の動向を知りたくて坂本太郎・井上光貞・山口啓二の三氏の回想録とそれぞれの著作集の月報をまとめて読んでいるのですが、三者三様で面白いですね。
官学アカデミズムの保守本流を体現する坂本太郎氏(1901-87)、井上馨・桂太郎の孫として「西洋趣味」の名門に生まれ、マルクス主義に一応の理解を示しつつウェーバーに親しんだ井上光貞氏(1917-83)、そして社会派弁護士を父に持ち、闘志溢れる「運動家」として歴研・歴科協をリードした山口啓二氏(1920-2013)。
この三者の視点を押さえておけば、東大のみならず、戦後歴史学の動向の基本部分は一応押さえることができそうです。

今谷氏の文章に「六〇年安保闘争に於て教え子である樺美智子氏を犠牲にされた著者」とありますが、樺美智子氏は1937年生まれなので、佐藤進一氏より21歳下、存命であれば77歳くらいの人ですね。
1942年生まれの今谷明氏よりは5歳上です。
二年くらい前だったか、知り合いの若手歴史研究者で、政治的なツイートをするのが好きな人が樺美智子氏について書いていましたが、その人は樺美智子氏が国史学科に在籍していたことを知らなかったそうで、私はその点にちょっとびっくりしました。
まあ、樺美智子氏は日本共産党とは対立する党派にいたので、おそらく歴研・歴科協の中ではジャンヌダルク扱いはされておらず、知らない人は全然知らないのでしょうね。
山口啓二氏も樺美智子氏については軽く触れているだけですね。
また、坂本太郎氏は政治的立場とは全く別の教育指導上の経緯から、樺美智子氏に対して非常に冷淡な書き方をされていますね。

樺美智子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%BA%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90

>筆綾丸さん
グローバルホークは翼長が約40メートルだそうですから、けっこうでかいですね。
記事はこちらみたいですね。

http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20140524_10.html

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7380
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