学問空間

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0086 平雅行氏『鎌倉時代の幕府と仏教』について

2024-05-10 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第86回配信です。
※13:00以降で、黒田俊雄氏が「脱権門体制的性格」という表現を用いている、などと言ってしまいましたが、これは平雅行氏の表現です。
その他、言い間違えが多くて恥ずかしいのですが、再配信も大変なのでそのままとしておきます。


『鎌倉時代の幕府と仏教』(塙書房、2024)
http://rr2.hanawashobo.co.jp/products/978-4-8273-1350-5

p115以下
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 私はこれまで、権門体制論・顕密体制論を基本的に支持しつつも、いくつかの批判点を提示してきた。最初にそれを確認しておこう。問題となるのは、第一が寺家の位置づけ、第二が密教による思想統合論、第三が正統─異端論であり、第四が「顕密体制」概念の混乱である。
 まずは、第一の寺家の位置づけから。権門体制論は公家・武家・寺家の相互補完によって中世国家が構成されていたとするが、公家・武家とは異なり、中世の寺家は自立的統合組織をもっていない。この点からして寺家を武家・公家と並列的に取り扱うのは適切ではないはずだ。
【中略】
現実には四分五裂していた寺社勢力を黒田氏が寺家というまとまりとして捉えたように、現実には四分五裂していた顕密八宗を、氏は密教によって思想的に統合されているとした。
【中略】
 このように、密教による思想統合論は歴史の実態と乖離している。寺社勢力と同様に、顕密八宗を統合したのは朝廷であり、寺家は国家的契機なしには思想的にも、政治的にも、自発的にまとまることができなかった。つまり顕密仏教も寺家も、自律的に統合されていない。それゆえ寺家は、寺院間相論や寺内紛争を寺家内部で調停することすらできなかった。そして寺家・顕密仏教は鎌倉時代になると、公家と武家によって引き裂かれ、顕密体制は京と鎌倉という二つの中心をもった楕円構造をとることになる。公家・武家と同一レベルで寺家を語るのは適切でない。
【中略】
 以上はこれまで私が指摘してきたことであるが、「顕密体制」概念の混乱と同じ問題が「権門体制」概念にも存している。権門体制は、(a)公家・武家・寺家に系列化された権門の相互補完によって支えられた中世国家をいう場合と、(b)個別権門の競合と相互補完からなる「権門政治」によって運営される中世国家をいう場合とがあり、両概念はかなり開きがある。「権門体制」は一般に前者(a)の意味で使用されることが多く、また黒田氏も辞書原稿ではそのような説明の仕方をすることが多い。
 しかし第一に、先述したように、自律的統合組織をもたない寺家を、公家・武家と並列するのは不適切である。第二に、前者(a)の場合、鎌倉幕府が軍事権門としての職権を超えて国政に介入したことの説明が困難となる。事実、そのことを根拠に権門体制論を批判する論者があとを絶たない(後述)。しかし、黒田俊雄氏の権門体制論には後者(b)があり、氏は権門政治を、官職・職権に基づいた政治ではなく、その権勢をバックに公私混淆的に国政の諸問題に介入するものと定義している。黒田氏が(a)と(b)の関係をどのように捉えているのか、定かには読み取りにくい。しかし、公家と武家との相互補完が学界の共通認識となった現在にあっては、(a)の意味における権門体制論は、ほぼ学問的役割を終えたと言えよう。それに対し、(b)権門政治をベースとする権門体制論は、今なお先進的な学術的意義があると私は判断している。そこで本章では、先行研究の成果をもとに、幕府と朝廷との関係を整理して、権門政治論をベースにした権門体制論の可能性を改めて問いたい。
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p141以下
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 たとえば、本郷和人氏は、「朝廷は諸権門の利害を調整する立場」であったが、実際にはその役割を果たせておらず、「実効性を持たぬ朝廷のはたらきを重視する黒田氏の理論は、机上の空論」であると断じた。そして、「幕府を、武力だけを担当する権門として、朝廷の下に位置づけることは全く無理な解釈」と論難している。しかしそう語る本郷氏には、➋権門政治における幕府の役割がまったく視野に入っていない。ちなみに佐藤雄基氏は、

  現実の最高実力者が鎌倉幕府・得宗であることをもって権門体制論への批判とする類の
  議論が後を絶たないが、黒田も幕府が「権門政治の主導権」をもつことは認めている。

と、権門政治論をもとに的確な批判を行っている。佐藤雄基氏が問題にした「類の議論」の典型例が、本郷和人氏の見解であろう。また、冒頭で述べたように、「朝廷」という語には、幕府と対応するレベルの朝廷と、幕府をも包含した全国政権としての朝廷の二義があるが、本郷氏は朝廷を前者の意味でしか捉えておらず、権門体制論という学説を正確に理解しているとは思えない。
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新年のご挨拶(その2)〔2021-01-03〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c17a2e0b20ec818c1ab0afd80862eb6f
承久の乱後に形成された新たな「国際法秩序」〔2021-10-01〕
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