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「かの学園紛争」

2014-05-24 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 5月24日(土)09時11分37秒

佐藤進一氏が東大を辞めた理由ですが、井上光貞氏の『わたくしの古代史学』(文藝春秋社、1982年)や「聞き書き-山口啓二の人と学問」(『山口啓二著作集』第5巻、校倉書房、2009年)を見たら、背景事情は何となく理解できました。
また、今谷明氏の「書評/佐藤進一著『室町幕府守護制度の研究』」、『歴史評論』471号、1989年)には次の記述がありました。

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(前略)本書は上・下二巻から成り、上巻はすでに一九六七年秋に出版されており、下巻はそれより二〇年を経た昨年一一月、漸くにして上梓された。(中略)
 さて本書上巻の出版当時、下巻分の素稿も大半は完成していたと伝えられるのに、下巻の刊行が遅延したことは学界にとっては惜しまれる事態であった。その著者自身は「懶惰に時をすごした」と遜辞され(本書あとがき)多くを語られないが、一時は本書下巻刊行さえ断念されるに至った最大の契機は、上巻出版の翌年勃発した東大文学部の闘争であろう。著者の自歴譜(『中央史学』十号)によると上巻発行の翌年一一月には東大に「訣別の意をほぼ固める」と記されている。また別の場で著者は一時は歴史学の研究自体を廃する決意さえ固められた旨を示唆されている。六〇年安保闘争に於て教え子である樺美智子氏を犠牲にされた著者にとって、かの学園紛争で学生らが提起した問題を回避することは許されなかった。安保闘争に係った多くの知識人がその後転向・変説した中にあって、著者の、他者に対しては寛容だが自己の良心に厳しく妥協を許さない誠実、真摯さは際立っている。著者の権力に関する強烈な問題意識と理論こそ、右のような氏の生きざま、人生観から発していることは疑いえないであろう。
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「変説」とありますが、変節の誤植ですかね。
まあ、私も純情な青少年だった頃はこの種の文章に感動したかもしれませんが、だいぶすれっからしになってしまったので、今谷は何を訳のわかんねーことを言っておるのだ、と思うだけですね。
「かの学園紛争」なんて莫迦の集団が棒を振っていただけで、「学生らが提起した問題」に何か重要なものがあったとは思えません。
「自歴譜」を見れば更に詳しい事情を知ることができそうですが、よく考えたら私は特に佐藤進一氏の思想に興味はないので、このあたりでやめることにします。

20日の投稿に対してFBでメールを頂きましたが、何故かうまく返信できないので、こちらでお礼を述べさせていただきます。
なお、メールで教えてもらった内容を外部に出すことはありません。

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