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呉座説も「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」

2020-09-09 | 『太平記』と『難太平記』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 9月 9日(水)10時26分23秒

『戦争の日本中世史』から「鎌倉幕府滅亡の原因は何か」という「難問に対する日本中世史学界の最新の回答」を紹介してきましたが、ここで改めて私の立場から問題を整理してみます。
呉座氏は、

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 今まで多くの研究者が、鎌倉幕府滅亡の原因を考察し、色々な仮説を提示してきた。しかし、皮肉なことに、研究が進めば進むほど、それらの仮説が成り立たないことが明らかになっていき、「分からない」という悲しい結論に陥ってしまったのである。
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と総括される訳ですが(p98)、これらの研究者の大半は「階級闘争史観」・「革命の実現を熱望したマルクス主義歴史学」に立脚、ないしその影響を受けていた人々なので、彼らの「仮説」は社会の「下部構造」、即ち客観的な社会経済的要因に「鎌倉幕府滅亡の原因」を求めるものです。
そして、呉座氏はそれらの「仮説」は全て実証的根拠を欠くのだとバッサバッサと斬り捨てる訳ですが、しかし、呉座氏自身の「楠木正成が頑張りました」説は、楠木正成の奮闘が周辺の人々の「今まで心中に秘めてきた不平不満」を「噴出」させた、ということなので、実は呉座説も「皮肉なことに」、「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」なのではないか、「マルクス主義歴史学の残滓」なのではないか、という感じがします。
さて、呉座氏の鮮やかな殺陣を眺めつつ、私の心の中のマリー・アントワネットは、「下部構造」がダメなら「上部構造」で考えればいいんじゃないの、と囁きます。
そして、「下部構造」ではなく「上部構造」、即ち人間の精神的活動の問題を取り上げる際には、呉座氏のように「今まで心中に秘めてきた不平不満」がどーしたこーしたという陰気な話ではなく、新しい秩序を求めようとする人々の野心を刺激するような雰囲気、「希望」といったら綺麗ごとに過ぎるとしても、未知の将来に対する楽観的な展望をもたらすような精神的土壌を検討した方が「生産的」なのではないかと思われます。
「体制の構造的矛盾」・「体制崩壊の根本的要因」を提示するのが無理だとしても、話をいきなり「体制崩壊の直接的契機」・「鎌倉幕府が滅亡するに至ったきっかけ」に矮小化するのは飛躍が大きすぎて、その間を埋める中間的な問題意識が重要ではないかと私は考えます。
その点については次回以降の投稿で検討しますが、「鎌倉幕府が滅亡するに至ったきっかけ」というマイナーな問題に限っても、呉座氏の「楠木正成が頑張りました」説には若干の疑問を抱きます。
ちなみに亀田俊和氏は9月3日のツイートで、

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鎌倉幕府が滅亡した原因は結局、護良親王の「世界精神」であったと私は考えています。


と書かれているので、「護良親王が頑張りました」説ということになると思いますが、この説にも私は賛成できません。
倒幕の経緯を素直に見れば、「結局足利尊氏の寝返りが決定打となって、鎌倉幕府は滅亡した」(亀田俊和氏『高師直 室町新秩序の創造者』、p35)のは明らかです。
元弘三年(1333)五月七日、足利尊氏が丹波篠村で裏切りを決断せず、予定通りに後醍醐天皇が拠点を置く船上山に向ったならば、楠木正成や護良親王がどんなに頑張ろうと、せいぜいダラダラと蜂起と逃亡を繰り返す程度の展開となり、鎌倉幕府はなお相当期間、余命を保ったはずです。
従って、呉座氏と同じレベルで議論するとすれば「足利尊氏が頑張りました」説が正しそうですが、より細かく見れば、優柔不断な尊氏を最終的に説得したのは上杉憲房なので、「上杉憲房が頑張りました」説が一番妥当かな、と思います。
ま、以上は冗談であって、私が重要と考えるのは「体制の構造的矛盾」と「体制崩壊の直接的契機」の間にあるものであり、楠木正成や護良親王、足利尊氏や上杉憲房といった超反抗的な人々が全国一斉にワラワラと湧いて出てくるこの時期の社会的雰囲気、そしてそうした精神的土壌を生み出した契機です。
この課題を検討する準備は一応できているのですが、呉座著の「参考文献」に出ていた松本新八郎『中世社会の研究』(東京大学出版会、1956)を入手してパラパラ眺めたところ、意外にも参考になりそうな記述が多かったので、次の投稿はこの本を読んでからになります。
さて、唐突ですが、本日の投稿の最後に竹内まりやの「恋の嵐」を歌いたいと思います。

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上杉憲房の説得に
心が揺れる夜は
秘め続けた想いさえも
隠せなくなる

北条家とは友達でいたいけど
動き出したハートは
もうこのまま止められない
罪の始まり

Chance chance chance
まだ今なら
帰る場所を選べるわ

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