学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

青木春雄『現代の出版業』(その2)

2017-11-23 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月23日(木)11時14分14秒

前々回の投稿で、

-----------
さて、以前、猪瀬直樹氏がどこかで書いていたのですが、青木書店の創業社長は別に左翼思想に凝り固まった人ではなく、会社の経理面だけをしっかり握っていて、後はゴリゴリ左翼で仕事中毒の役員・従業員に全て任せ、豪邸に暮らして平日の真昼間からゴルフ場に行ったりして、優雅なブルジョワ生活を満喫していたそうですね。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/04f448f3e905cba3909964e6bd3e5782

と書いてしまったのですが、これは青木冨貴子氏が少し自虐的に冗談っぽく語った言葉を元左翼学生の猪瀬直樹氏が生真面目に受け止め、それをゴルフ嫌いの私が更に大袈裟に記憶していた結果なのかもしれないですね。
『現代の出版業』を読む限り、青木春雄氏には共産党やそのシンパの人にありがちな傲岸さや独善性はなく、淡々と数字を挙げて理詰めで説明するストイックな姿勢は一流企業の財務担当重役みたいな感じです。
ただ、そうはいっても、機械的な合理主義者では終戦直後の荒々しい出版界で生き残れるはずもなく、第Ⅱ部「第三章 現代の出版人」の「2 出版人の意識革命」あたりには青木氏の熱血ぶりが少し伺えますね。(p186以下)

-------
 私事になるが、四十九年四月から、自分が創業し三十年近く育ててきた出版社の社長を退いたが、今のところまだ会長職にあるので"私人"といっても一出版業者であることに変りはない。私の社会人生活は三十五年間の出版界ぐらしがすべてである。他の産業界のことは何も知らないといっていい。そして戦前の編集者経験七年だけで、いきなり出版社経営に入った。二十九歳の時である。それからの二十八年間は編集出身者の出版社経営がいかに難しいか、という定説を身をもって体験したつもりである。
 私の学生生活は戦前の高等商業が最後で、それも在籍中に主婦の友社の入社試験を受けて編集者になった。嫌々学んだ経営学の初歩知識が、十年近いブランクを経て出版経営の原始段階に役立つとは予想外だった。文字通り浅学菲才で、しかも赤手空拳のスタートだったが、私をふくめた数人のスタッフを支えていたものは、若さと出版への情熱にほかならない。世の中のためになる仕事をしよう、そのためには個人的生活を犠牲にしてもやむをえない─ということが、疑いや不満もなく通用する時代だった。
 敗戦後の混乱が一応、落着きをみせ、出版界の再建も軌道に乗るようになった創業十年後になると、社内の事情は多少かわってきいた。自分たちの生活をとりまく近代化社会の豊かさが目にみえてくるにつれて、自分たちの個人生活のみじめさが耐えがたくなってきた。良い本を造ろうという目標だけでなく、自分たちの、そして家族たちの生活をいくらかでも向上させたい、という願いがともなってきたのである。
 いま振り返ってみると、この間の私たちの仕事には、これら二つの執念がこめられた意欲的な成果が残されている。わが社ばかりではない。岩波書店であれ、筑摩書房であれ、歴史的に立派な業績を持つ出版社の草創期を見れば、このことは誰の目にもあきらかに映るにちがいない。つまり出版という事業は、いうなればハングリー企業であるべきだ。いや、ハングリー企業の状態でなければ創造的出版や、賭けをともなう野心的企画は生まれないということである。
-------

青木冨貴子氏の「富貴子」という命名はずいぶんな成金趣味だなあ、みたいなことを以前チラッと思ったことがあるのですが、これも1948年という「ハングリー」な時期の「家族たちの生活をいくらかでも向上させたい、という願い」の現れだったようですね。

青木冨貴子(1948-)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%86%A8%E8%B2%B4%E5%AD%90
青木冨貴子オフィシャルウェブサイト
http://www.aokifukiko.com/index.html

ところで、ウィキペディアで「青木春男」になっているのはともかくとして、「一般財団法人日本出版クラブ」サイトでも「青木春男」なのはいかなる事情によるのですかね。
「一般財団法人日本出版クラブ」には「出版平和堂」という施設があって、

-------
出版平和堂は風光明媚な箱根・芦ノ湖を望む高台に、本を開いて伏せた形で建立されている、いわば出版文化の殿堂です。出版関連13維持団体等によって維持・運営がなされ、お堂内には、日本の出版界を築き上げ、繁栄に導いた物故功労者のお名前と功績が刻まれた銅の記銘板が掲げられています。
毎年秋には、(財)日本出版クラブが主催する「出版功労者顕彰会」が無宗教・無宗派の形式によって執り行われ、この場に集った出版関係者及び顕彰者のご家族は、先達の功績を讃え、感謝すると共に、業界の繁栄を誓い、世界の平和を祈願します。
皆様も、ぜひこの地を訪れ、出版界の先達のお名前を胸に刻み、その歴史や思いに触れてみませんか。

http://www.shuppan-club.jp/?page_id=17#about

という具合に紹介されているのですが、この「日本の出版界を築き上げ、繁栄に導いた物故功労者のお名前と功績が刻まれた銅の記銘板」の「顕彰者名簿」を見ると、「回数39」の8名中に、

------
青木春男
青木書店社長(創業者)
日本書籍出版協会副理事長 東京出版協同組合常任理事 日本出版クラブ常任理事
T6.10.5
H18.4.28

http://www.shuppan-club.jp/?page_id=79

とあります。
『歴史学研究』のバックナンバーを見ても「発行人」は全て「青木春雄」となっていて、これが本名であることは間違いないと思いますが、新聞の死亡記事や友人のホームページ、ウィキペディア記事のみならず、「一般財団法人日本出版クラブ」の「顕彰者名簿」ですら「春男」となっているのはどうしてなのか。
もしかしたら晩年に正式に改名したような事情があったのですかね。
ちょっと妙な感じですね。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青木春雄『現代の出版業』(... | トップ | 小川剛生『兼好法師─徒然草に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史学研究会と歴史科学協議会」カテゴリの最新記事