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「就職目当ての論文が多すぎるのではないか」(by 犬丸義一)

2015-06-05 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 5日(金)07時45分17秒

前にも書きましたが、歴史学研究会はそもそも「学者の集団」ですらなく、単なる雑誌購読者の集合体ですね。
「入会案内」によれば「会員種別にはA会員:会費10,700円(会誌・月報・大会増刊号含む)、B会員:会費8,800円(会誌・月報のみ)」があるそうですが、その違いは月刊の機関誌『歴史学研究』の他に、年一回の臨時「大会増刊号」を購入するか否かだけですね。

入会案内

ま、そうはいっても質的な面で重要なのは論文を執筆する専門的な歴史研究者層ですが、この人たちも特定の思想・世界観に立脚・共鳴して論文を投稿している訳ではなく、その動機の大半は「就職目当て」ですね。
古参の共産党員でもある犬丸義一氏の見解を少し紹介してみます。(『歴史学研究』第879号、2011年5月、リレー討論「歴研創立80年に向けて」第1回、「戦後歴史学のあゆみと私の歴史研究」p41)

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(編集部:歴史学研究の現状、歴研についてのお考えをきかせて下さい。)
 就職目当ての論文が多すぎるのではないか。(生存権を確保しようとする努力だから否定しないが。)石母田正氏も言っていたように、個別論文は、あくまで全体史を解明するための「鍵」として書かれるべき。(中国語で言うならば、全体史解明のための「環節」。中国では「史的唯物論の諸環節」といった表現をする。)『歴研』は個別史学会誌ではないのだから、全体史、総体史を解明しようとする問題意識、論理性が不可欠なのではないか。大会テーマは評価しているが、通常号がそれとは遊離しているのが残念である。書評はなかなか勉強になると思っている。だから会員でなければならないので、止めるわけにはいかない。
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まあ、「全体史、総体史を解明」とか言われても、若手の研究者は鼻白むか、あるいは何を言っているのかさっぱり分からない、という反応になりそうですね。
そんな昔話より自分の「生存権を確保」する方がよっぽど重要ですからね。

「運動も結構だが勉強もして下さい」(by 坂本太郎)

>筆綾丸さん
昨日、閉館間際の図書館で、内容も確かめないまま『平成新修旧華族家系大成』の渡邉伯爵・渡邉子爵家の部分をコピーし、今朝になって眺めてみたら千夏さんがいました。
渡邉千秋(宮内大臣、伯爵)には男子4人、女子3人、計7人の子がいて、千春が伯爵家を継ぎ、千冬が千秋の弟の国武(逓信・大蔵大臣、子爵)の養子となって子爵家を継ぎますが、千春・千冬の妹に千夏さんがいて、親子で綺麗に四季がそろっていますね。
ま、ここまでは、もしかしたらということで一応想定内だったのですが、奇妙なのは千春の息子、昭(貴族院議員)の夫人(旧姓小畑)が春子さん、昭の息子の允(まこと、ヨルダン大使・外務省中近東アフリカ局長・外務省儀典長)の夫人(旧姓飯田)が秋子さんで、渡邉伯爵家四代の当主二代と当主夫人二代を並べると、千秋・千冬・春子・秋子となります。
四季にこだわる渡邉伯爵家には、当主夫人は四季の一字が入った女性を選ぶべし、という家訓でもあるのですかね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

師雪と師寒の兄弟愛 2015/06/04(木) 14:51:19
小太郎さん
渡邉一族の四季は、室町期の高一族の師春・師夏・師秋・師冬を連想させますね。
一族が繁栄すると、旧暦から勝手に偏諱を賜って、師睦、師如・・・師走(読み方不明)となり、それでも足りなくなると、二十四節気も同様にして、師雨・・・師雪、師寒と続くはずだったのでしょうね。残念ながら、途中で滅びてしまいましたが。師雨、師雪、師寒などは、我が帝国海軍の駆逐艦の源氏名(?)のような風情がありますね。

確認すると、渡辺慧がエントロピーについて多く言及しているのは『生命と自由』(岩波新書)のほうで、『認識とパターン』(岩波新書)ではあまり出てこないですね。渡辺慧は井筒俊彦に似ているところがありますね。

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・・・(パタンという言葉は)フランス語のパトロンという言葉から来たということになっています。フランス語では、普通の意味でいう、いわゆるパトロンという意味と、型紙という意味と両方を今でも一語で表わしますが、英語になるとき、二つに分れて、パトロンという英語と、パタンという英語になったというわけです。
 ところで、パトロンという観念と、パタンという観念が一つの言葉で表わされていたということは、興味あることです。パトロンということは、主人とか、親方とかいう意味はもちろんのこと、守護者、守護神、守護聖人というような意味も含まれています。つまり、パトロンというのは、何かお手本になるものであって、我々が、従い、模倣し、追従するというような意味あいです。そう考えれば、型紙、すなわちパタンも、一つのお手本であり、典型であって、我々が、それに倣って次のものを作るのでありますから、一つの言葉で表わしても不思議ではありません。(中略)
これは、少しまた脱線になりますが、ちょっと気がついたので書いておきますが、フランス語でレストランのパトロンといえば店の亭主ですが、英語でレストランのパトロンといえば店の顧客の意味になります。なぜでしょうか、少しかしこまっていえば、封建的残滓と商業主義の違いだともいえましょうが、まあ、フランス語では、英語でボスというところをパトロンという習わしになっていますので、亭主をパトロンというのはあたりまえでしょう。一方、アメリカなどでは、金の出所が守護神だから、これをパトロンというのは無理もないことでしょう。(『認識とパタン』11頁~)
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偏諱とはパトロンより賜うパタンであり、唯名論的(nominaliste)な刺青であり、余程の事情がないかぎり、détatouage(デタトゥアージュとはデリダ的な脱構築の一種で、脱青<青を脱ぐ>と訳されることがあるが、あまり良い訳ではない)は許されないが、できないこともない。
http://www.centrelasersorbonne.com/Detatouage-et-Laser.html
パリ五区、カルチェ・ラタンの一画、ソルボンヌ大学の直ぐ近くには、Centre Laser Sorbonne といって、学校帰りの derridien たちが憩う場所があるが、この頃はあまり流行らない。若者が哲学にかぶれなくなったせいかもしれない。

唯物史観はすっかり détatouage されて、というか、dérougissement「デルジスモン(脱赤)」されて、昔日の面影はない、といったところでしょうか。
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