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渡邉一族の四季

2015-06-04 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 6月 3日(水)23時49分40秒

16団体声明のようなニュースを聞くと、ネット界隈では、主導した歴史学研究会は左翼の集まり、まるくす主義者の集団だあ、みたいなことを言う人も多いですね。
例えば池田信夫氏は、

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歴史学研究会は、唯物史観を信じる歴史学者の集団である。私が大学に入ったとき、西洋史の先生が歴研の幹部で、岩波書店が歴研の機関誌を出すのをやめたことを批判し、岩波の「右傾化」を延々と語ったのを思い出す。彼の講義のテーマは「発展段階論はいかにして各国に適用できるか」だった。

と言われていますが、この「西洋史の先生」のエピソードは興味深いものの、「岩波書店が歴研の機関誌を出すのをやめた」のは1959年であって池田氏の大学入学の14年も前の話であり、また、岩波が離れた原因は金銭トラブル(累積赤字の処理)と、それをめぐる感情のこじれ(歴研側の一部の傲慢な発言に岩波の重役・小林勇が激怒)であって、思想的対立ではありません。
まあ、朝日新聞に出ていた歴研・久保亨委員長(信州大学教授)の「少数の左翼や右翼ではない、標準的な歴史学者の多数の意思だ」という表現はいささか白々しい感じもしますが、かといって歴史学研究会全体が左翼集団、「唯物史観を信じる歴史学者の集団」だというのも明らかな誤解ですね。
草創期や再建期には色々あったにせよ、熱い政治の季節は遥か昔に終わり、今や就職を目指す若き研究者たちの大半にとって『歴史学研究』は自己の存在を業界にアピールするためのツールに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないですね。
なお、歴史科学協議会は歴史学研究会とは発足の事情が異なり、現在でも体質の違いは残っているので、外部から「唯物史観を信じる歴史学者の集団」的に見られても仕方ない面はありますね。

>筆綾丸さん
>渡辺慧
四歳上の兄、渡辺武は伊藤隆氏の『歴史と私』に出てきますね。(p168)

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 尚友ブックレットには、『渡邉武談話』、『渡邉昭(あきら)談話集』、『〔貴族院〕憲法改正案特別委員会小委員会筆記要旨─日本国憲法制定史の一資料─』、『松本剛吉自伝「夢の跡」』なども含まれています。史料を見せていただくなどでお世話になった渡邉武氏は子爵渡邉千冬の息子で、「昭和天皇最後の御学友」と言われる渡邉昭氏は伯爵渡邉千春の息子、どちらも伯爵渡邉千秋の孫にあたります。両氏のインタビューの聞き手は私が務めました。
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渡邉一族は本当に秀才だらけですが、千秋・千冬・千春と続くと、一族には千夏もいたのかな、というしょうもない疑問が湧いてきますね。
後で霞会館の『平成新修旧華族家系大成』を見なければ・・・。

渡辺武(1906-2010)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

シーメンスの時計 2015/06/03(水) 14:19:35
小太郎さん
渡辺慧はあの時代の物理学の巨匠達(ド・ブロイやハイゼンベルクやボーア)と親交があり、仁科芳雄の弟子とのことなので「ニ号研究」にも関与したと思われますが、保阪正康氏の『日本原爆開発秘録』には出てこないですね。とにかく天才的な人だったようですね。

むかし、『認識とパタン』(岩波新書)を読んだときは、よくわからなかったのですが、「人間のパターン認識はエントロピー最小化原理に基づく情報の圧縮であることを明らかにする」とあり、いかにも熱力学の第二法則の専門家らしい書だったのですね。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167903756
万城目学・門井慶喜両氏の『ぼくらの近代建築デラックス!』を読み始めたのですが、面白い本ですね。京都大学時計台について、こんな会話があります。(58頁~)
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万城目 去年、時計台の下の記念ホールで講演会をやらしてもらいまして、じつはそのときこの時計台の中をこっそり見学させてもらったんです(一般の見学者は立入禁止)。
門井  いいなあ。
万城目 というのもこの時計台、一日に三回鐘が鳴るんですが、京大の総長が塔に登って鐘をついてるという根強い噂がございまして。
門井  ハハハハ、京大らしい。
万城目 で、せっかくの機会なんで、あの噂はほんまですかと職員の人に訊いたところ、いえ違いますって。
門井  訊いたんだ。
万城目 じゃあ中を確かめますかと誘われて、お言葉に甘えて螺旋階段を上ったところ、総長ではなくてドイツ・シーメンス社製の巨大な制御盤が時計を動かし、鐘を鳴らしているという真相をつきとめました。中心の制御盤から四本の軸が延び、ぐりぐりっと動いて四方の時計の針が動く。時計台がつくられたのが大正十四(一九二五)年ですから、八十五年もの間、同じメカニズムで動いてるんです。
門井  一度焼失したのを、京大の初代建築学科教授であった武田五一の設計で再建したのが現在の時計台ですね。
万城目 そういう歴史のあるシーメンス社の時計を、いまメンテナンスできる人が一乗寺に住んでいる電気屋さんのおじいさんひとりだけなんだそうで、その方が引退したらどうなるかわからない。
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http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/president/message.html
現在の京大総長はゴリラ学が専門なので、アフリカで鍛えた足腰でもって、一日に三回くらい、楽々と上り下りできるでしょうね。一乗寺のおじいさんが引退したら、総長の資格に、一日三回、時計台に登り鐘を鳴らすこと(つまり、総長にはなりたいが、あんなところに毎日登るのはイヤだ、というような無精で愚痴の多い老人は除く)、というような条件をつければ京大らしくて面白くなるだろうな。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E4%BA%94%E4%B8%80
連続テレビ小説『ごちそうさん』は見ませんでしたが、武田五一がモデルなんですね。「ちなみに、五一という名は、五番目に生まれた長男だからだそうです」(83頁)。
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