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歴史学研究会と青木書店の「熟年離婚」(その3)

2017-11-20 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年11月20日(月)12時32分2秒

青木書店の出版点数に関して、単なる好奇心から、もう少しだけ数字を見てみます。
書籍総数2,691件は多すぎるので、キーワードに「歴史」を入れて、歴史関係だけの出版点数を見ると合計670件、全体の約25%ですね。
これを10年分ずつ比較すると(カッコ内は累計)、

2010~ ( 17) 17
2000~09(159)142
1990~99(292)133
1980~89(381) 89
1970~79(500)119
1960~69(569) 69
1950~59(666) 97
1945~49(670) 4

ということで、個人的には青木書店は昭和の出版社のようなイメージがあったのですが、1990年代が133点、2000年代が142点と、平成に入って出版活動はむしろ活発化していますね。
この時期をもう少し細かく5年毎に見ると、

2015~ (2) 2
2010~14(17) 15
2005~09(69) 52
2000~04(159)90
1995~99(232)73
1990~94(292)60

ということで、2000年代前半が創業以来の一番のピークですから、その後の凋落ぶりが余計目立ちます。
さて、以前、猪瀬直樹氏がどこかで書いていたのですが、青木書店の創業社長は別に左翼思想に凝り固まった人ではなく、会社の経理面だけをしっかり握っていて、後はゴリゴリ左翼で仕事中毒の役員・従業員に全て任せ、豪邸に暮らして平日の真昼間からゴルフ場に行ったりして、優雅なブルジョワ生活を満喫していたそうですね。
猪瀬氏はこの話を、同じノンフィクション作家仲間で、青木書店社長の娘でもある青木富貴子氏から聞いたそうなので、情報源としてこれほど確実な話はありません。
信州大学全共闘議長という左翼活動歴を持つ猪瀬直樹氏は、貧しい青年労働者や地方出身の勤労学生が乏しい生計費をやりくりして購入した左翼出版物の対価が左翼出版社社長の遊興費になっていることを知って、何とも複雑な気持ちになったそうですが、確かにゴルフ場云々は資本主義社会の構造を鮮やかに映し出す心温まるエピソードで、私も、成る程、世の中はそういう風に出来ているのか、とひどく感心した覚えがあります。
その青木書店の創業社長、青木春男氏の名前で少し検索してみたら、同氏は2006年に88歳で亡くなったそうですね。

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青木春男氏死去/青木書店創業者、同社相談役

 青木 春男氏(あおき・はるお=青木書店創業者、同社相談役)4月28日午後11時44分、心不全のため東京都青梅市の病院で死去、88歳。神奈川県出身。【中略】
 45年青木書店を創業。二女は、ジャーナリストの青木冨貴子さん。

鈴木弘という財界人(日刊工業新聞社元役員)のホームページに、

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 青木春男さん亡くなる

「青木さんが亡くなられました」、と先月30日にKCCに行ったら、倶楽部の人に告げられた。しばらくお目に掛からないとは思っていたが、私より年長であり、この冬の寒さに自重されているくらいに思っていたのだが、矢張りショックだった。
 青木さんは私と同じ昭和44年の入会だけれど、私はそれ以前から存知上げていた。私が東京商大を卒業した24年の春、出版の道に進みたいという希望を父に話しその就職先を相談したら、講談社、主婦の友社そしてホーム社の中から選べといわれ、私は一番小さいホーム社をお願いした。そこの社長は本郷保雄氏(故人)、この方は主婦の友の編集長を長く勤められ、戦後に独立されてこの社を創立されたのである。【中略】
 私の直属にあたる方が中尾是正氏(故人)であったが、この方は主婦の友社で先生のもとにおられ、ホーム社創業のとき先生に従って移られたと承知している。私はこの中尾氏の紹介で青木さんを存じ上げることになったのだが、青木さんも主婦の友社で本郷先生のもとにおられ、戦後独立されて青木書店を創業されたのである。有り難いことに私は本郷先生の教え子の一人に数えて頂き、青木さんとは仲間としてお付き合いさせて頂いた。だから私がホーム社に入ってから20年後に、KCCでお目に掛かったのは偶然ではあるが、嬉しいことであった。


とありますが、鈴木氏の他のページを見ると、この「KCC」は「霞ヶ関カンツリー倶楽部」のことで、つい先日、トランプ大統領と安倍首相がプレーしたことでも話題になった超一流名門ゴルフ場ですね。

「KCCの創立者」

青木春男氏が鈴木弘氏と一緒に「霞ヶ関カンツリー倶楽部」の会員になった昭和44年(1969)といえば大学紛争真っ盛りの時期で、猪瀬直樹氏もゲバ棒を振ったりして活躍されていた頃でしょうが、日本有数の左翼出版社社長という地位は、別に超一流名門ゴルフ場の会員になることの妨げにはならなかったようですね。
ま、それはともかく、相談役の青木春男氏が亡くなった2006年はなかなか微妙な時期で、青木書店の出版活動の転機になっているような感じもします。

>筆綾丸さん
藤原彰氏と江口圭一氏は随分前に亡くなっているよなー、と思って検索してみたら、二人とも2003年に死去されていますね。
14年前に鬼籍に入っている人の著書が「話題」の書では、笑うに笑えません。

藤原彰(1922-2003)
江口圭一(1932-2003)

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

武田薬品の慧眼 2017/11/18(土) 16:58:26
小太郎さん
出版社には失礼ながら、「いったい何時の「話題」なのか、と嫌味を言うのも気の毒な「鬼気迫る」状態です」のところで、思わず吹き出してしまいました。

キラーカーンさん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC7%E7%95%AA_(%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81)
https://www.youtube.com/watch?v=747hGK6pSpQ
https://www.youtube.com/watch?v=nH-iIYtrnVk
作曲の完成日(1941.12.17)は真珠湾攻撃の10日後で、大日本帝国の絶頂期、というか、下り坂を転げ落ち始めたときですね。
選曲の意図は不明ですが、「チーチン・プイプイ」がソ連邦崩壊後のプーチンの出現を予言していて(たんに発音が似ているというだけのことですが)、武田薬品の慧眼には「鬼気迫るもの」がありますね。
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