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「巻七 北野の雪」(その3)─御雑仕・貫川

2018-01-22 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月22日(月)11時27分20秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p67以下)

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 十月廿二日参り給ふ儀式、これもいとめでたし。出車十両、一の車左は大宮殿、二位中将基輔の女とぞ聞えし。二の左は春日、三位中将実平の女。右は新大納言、この新大納言は為家の大納言の女とかや聞えし。それよりも下、ましてくだくだしければむつかし。御雑仕、青柳・梅が枝・高砂・貫川といひし、この貫川を、御門忍びて御覧じて、姫宮一所出でものし給ひき。その姫宮は、末に近衛の関白<家基>の北の政所になり給ひにき。
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文応元年(1260)十月二十二日、佶子の入内の儀式は、これも大変立派だった。出車(いだしぐるま)は十両で、一の車、左は大宮殿、二位中将基輔の娘ということであった。二の車、左は春日、三位中将実平の娘。右は新大納言で、この人は為家大納言の娘とかいうことであった。それより下は煩雑なので省略する。御雑仕は青柳・梅が枝・高砂・貫川といった人々だったが、この貫川を亀山天皇はこっそり御寵愛になって、姫宮が一人お生まれになった。この姫宮は後に関白・近衛家基の北の政所になられた。

ということで、「それよりも下、ましてくだくだしければむつかし」は例によって語り手の老尼がちょこっと登場している場面です。
さて、「二位中将基輔」は猪隈関白・近衛家実の弟、家経の息子で、『公卿補任』寛元三年(1245)に四十八歳で死去とありますから、建久九年(1198)の生まれですね。
摂関家の人ではありますが、死去した年でも「非参議従二位 左中将」ですからそれほどの存在でもなく、要は近衛家の傍流です。
この程度の人の娘が「出車十両」のうちの「一の車左」というのは、ちょっと妙な感じがしないでもありません。
また、「三位中将実平」は「浄土寺相国」三条公房の息子で、『公卿補任』正嘉元年(1257)に六十一歳で出家とありますから、建久八年(1197)の生まれですね。
この人も出家の年に「非参議正三位 左中将」で、三条家の傍流です。
具体的に名前が挙がっている女性の父親が近衛基輔・三条実平程度なので、西園寺公子(東二条院)の女御入内の場面に比べると貧弱な感じは否めないですね。

「巻六 おりゐる雲」(その1)─女御入内(西園寺公子)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6923413073fbd722365aa088e6a8b51d

ちょっと奇妙なのは、老尼は出車に乗るような身分の女性について、「それよりも下、ましてくだくだしければむつかし」と言いながら、その直後に遥かに下の身分の雑仕(ざふし、宮中で雑役に従事した下級女官)四名の名前を列挙した上で、最後の「貫川」について妙に詳しい情報を提供している点です。
この程度の身分の女性の具体的な名前が出てくるのは、やはりこの場面が『増鏡』で最初になりますが、実はこの「貫川」は「巻十 老の波」に再び登場するので、『増鏡』作者にとってよほど興味をそそられた存在のようです。
また、佶子入内という洞院家にとって非常に目出度い場面の中に、何故に『増鏡』の作者は亀山天皇がこっそり雑仕女を寵愛して子供を産ませたというような不愉快な話を挿入するのか、その意図も些か不審です。
なお、関白・近衛家基(1261-1296)は佶子入内の翌年の生まれですから、「姫宮」が家基の正室になるのはずいぶん先の話です。
『尊卑分脈』を見ると、家基の子の経平(1287-1318)の母が「亀山院皇女」となっており、おそらくこの人が貫川の生んだ「姫宮」ですね。
『増鏡』には近衛家基の関係者についての「愛欲エピソード」が豊富に記載されており、家基の嫡子、岡本関白・近衛家平(1282-1324)の男色話は既に紹介しました。

近衛家平の他界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2240db7a9c314fc232730a9e5fffc723

また、近衛家基の妹で、亀山院女御の位子(新陽明門院、1262-96)についても、その不行跡が「巻十一 さしぐし」に描かれています。
更に家基の父の深心院関白・基平(1246-1268)の姉・宰子(1241-?)は鎌倉幕府第六代将軍・宗尊親王の室で、宰子が松殿良基と密通したことが宗尊の追放の原因となった女性ですが、その宰子の娘で家基にとっては従姉妹にあたる掄子女王は亀山院の後宮に入ります。
そして、掄子女王と六条有房(村上源氏、後深草院二条の従兄弟)の情事が、やはり「巻十一 さしぐし」に詳細に描かれています。
近衛家は『増鏡』において、ちょっと特殊な扱いを受けているように感じられるのですが、そのあたりの事情は後で具体的に検討します。

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