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「巻七 北野の雪」(その2)─洞院佶子と洞院公宗

2018-01-22 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 1月22日(月)09時34分30秒

続きです。(井上宗雄『増鏡(中)全訳注』、p57以下)

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 この姫君の御兄あまた物し給ふ中のこのかみにて、中納言公宗と聞ゆる、いかなる御心かありけん、下たくけぶりにくゆりわび給ふぞ、いとほしかりける。さるは、いとあるまじきことと思ひはなつにしも、したがはぬ心の苦しさ、おきふし、葦のねなきがちにて、御いそぎの近づくにつけても、我かの気色にてのみほれ過ぐし給ふを、大臣は又いかさまにかと苦しう思す。
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この姫君(佶子)の一番上の兄で、中納言公宗と申す方は、どういう御心があったものか、(上に燃え上らず)下でいぶっている火のように悩んでおられるのは、お気の毒であった。そういう(兄が妹を恋うなどという)ことは、本当にあってはならないことと思い切ろうとしても諦められない心の苦しさから、起きていても寝ていてもひたすら泣いていることが多く、妹君の入内の御支度が近づくにつけても、我を失って呆然と過ごされるのを、父実雄公は、これはまたどうしたことだ、と苦しく思われる。

ということで、公宗(1241-63)は佶子(1245-72)より四歳上、母はともに「法印公審女、従二位栄子」です。(『尊卑分脈』)

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 初秋風けしきだちて、艶ある夕暮に、大臣渡り給ひて見給へば、姫君、薄色に女郎花などひき重ねて、几帳に少しはづれてゐ給へるさまかたち、常よりもいふよしなくあてに匂ひみちて、らうたく見え給ふ。御髪いとこちたく、五重の扇とかやを広げたらんさまして、少し色なる方にぞ見え給へど、筋こまやかに額より裾までまよふすぢなく美し。ただ人にはげに惜しかりぬべき人柄にぞおはする。
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初秋風が吹き始め、優美な夕暮れに実雄公がいらっしゃってご覧になると、姫君が薄色の上着におみなえし襲の袿をひき重ねて、几帳から少し離れてすわっておられるご容姿は、いつにも増して何ともいえず上品で美しく、可愛らしい。御髪もとても豊かで、五重の扇とかいうものを広げたような様子で、少し赤みを帯びていらっしゃるようにも見えるが、毛筋が細やかで、額から毛の先までくせもなく美しい。確かに普通の人の妻には惜しいようなお人柄である。

ということで、佶子が大変な美人であることが強調されます。

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 几帳おしやりて、わざとなく拍子うちならして、御ことひかせ奉り給ふ。折しも中納言参り給へり。「こち」とのたまへば、うちかしこまりて、御簾の内にさぶらひ給ふさまかたち、この君しもぞ又いとめでたく、あくまでしめやかに心の底ゆかしう、そぞろに心づかひせらるるやうにて、こまやかになまめかしう、すみたるさまして、あてに美し。いとどもてしづめて、騒ぐ御胸を念じつつ、用意を加へ給へり。
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実雄公は几帳を脇に押しやって、わざとらしくなく拍子をとって、姫君に御箏を弾かせ申し上げる。ちょうどその時、公宗中納言も参られた。実雄公が「こちらへ」とおっしゃると、かしこまって御簾の中にいらっしゃる中納言の御容姿もとても立派で、しっとりと落ち着き、御心のうちを知りたくなるくらいで、このお方の前では誰でも何となく気がおけてしまうという御様子で、細やかであでやかで、洗練されていて、上品で美しい。中納言は一段と心を鎮め、騒ぐ胸を抑えて、自分の気持ちが外に現れないように注意深く振る舞われる。

ということで、妹が大変な美人なら兄も大変な美男子で、素晴らしい兄妹なのだそうです。

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 笛少し吹きならし給へば、雲ゐにすみのぼりて、いとおもしろし。御ことの音ほのかにらうたげなる、かきあはせの程、なかなか聞きもとめられず、涙うきぬべきを、つれなくもてなし給ふ。撫子の露もさながらきらめきたる小袿に、御髪はこぼれかかりて、少し傾きかかり給へるかたはら目、まめやかに
光を放つとはかかるをや、と見え給ふ。よろしきをだに、人の親はいかがは見なす。ましてかくたぐひなき御有様どもなめれば、よにしらぬ心の闇にまどひ給ふも、ことわりなるべし。
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中納言が笛を少し吹き鳴らされると、その音が空高く澄み上がって、大変趣がある。姫君の箏の音はほんのりと可愛らしいが、中納言は気持ちが高ぶって聞き取ることができず、涙が浮かびそうなほどの気持ちだが、平気なように装っておられる。なでしこの花がそのまま煌めいている模様の小袿に御髪がこぼれかかって、少し前かがみになっていらっしゃるお姿を横から見たところ、本当に、光を放つというのはこういうことをいうのだろうかと、お見えになった。世間並みの娘であっても人の親は良いものと思ってしまうものである。まして、このような類のないほどの御容姿であれば、実雄公が大変深い親心の闇に迷われてしまうのも、もっともなことであろう。

ということで、姫君は光り輝いていて、殆どかぐや姫のような存在になっていますね。
「なかなか聞きもとめられず」はちょっと意味が取りにくいのですが、井上氏は「笛に箏が合奏された折、かえって一々の音が聞き分けられない。何ゆえに「聞きもとめられず」か、いろいろ考えられるが、下に(悲しみの)「涙うきぬべきを」とあり、感情が高じてかえって、と解しておきたい」とされています(p65)。
「心の闇」は現代の用法と異なって、「藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(『後撰集』巻十五雑一、一一〇三)による。親の、子を思う迷いの心をいう」(p66)ものです。
まあ、ストーリーはともかく、文章は『源氏物語』並みの華麗さで、ちょっと圧倒されますね。

洞院佶子(1245-72)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E9%99%A2%E4%BD%B6%E5%AD%90
洞院公宗(1241-63)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E9%99%A2%E5%85%AC%E5%AE%97

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