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「慈光寺本妄信歴史研究者交名」(その1)─作成にあたっての私の下心

2023-10-11 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』
「慈光寺本の合戦記事の信頼性評価」シリーズ全22回で評価の対象としたのは下巻の前半280行ですが、『新日本古典文学大系43 保元物語 平治物語 承久記』(岩波書店、1992)では、慈光寺本は上下巻合計で1044行なので、検討対象とした280行は、

 280/1044≒0.268

となり、全体の約27%です。

「C:ストーリーの骨格は史実を反映しているが、脚色が多く、信頼性は低い」……約20%
「D:ストーリーの骨格自体が疑わしく、信頼性は極めて低い」……約53%

となって、「C」「D」合計で約73%という結果は、そこまで割合が高いのかと私自身にとってもちょっと意外でした。
この後、引き続き下巻後半の戦後処理関係記事の信頼性評価をしようかなとも思ったのですが、細かな検証作業に疲れたので、少し休みます。
一応の予測としては、戦後処理関係記事には単なる事実の記録の部分も多い反面、順徳院と九条道家の長歌贈答のように明らかな虚構、従って「D」評価となる記事も多いので、各カテゴリーの割合は合戦記事と同じようなものかな、と思っています。
さて、ここで視点を変えて、慈光寺本そのものではなく、慈光寺本を歴史研究者がどのように見ているのか、について少し検討したいと思います。
私は何故に多くの歴史研究者が慈光寺本のような明らかに変な史料に特別な関心を寄せ、その内容を「妄信」するのか、かねてから不思議に思っているのですが、それは基本的には「つまみ喰い」が原因でしょうね。
大半の歴史研究者は慈光寺本全体を丁寧に読んでおらず、自分の関心に沿ったごく一部だけを見て、自分の学説に適合的であれば好意的に引用し、そうでなけば見て見ぬふりをするのが通例です。
慈光寺本はなかなか複雑な史料で、様々な要素を含むので、歴史研究者が、例えば「三浦氏研究に役立てたい」といった一定の関心(ないし下心)を持って接すると、それなりに満足できる側面を見せてくれることが多いのでしょうね。
しかし、慈光寺本を網羅的に検証した私が、貴殿はこんな記事やあんな記事も信頼されるのですか、ここまで変な記事が多い慈光寺本を何故に貴殿は信頼されるのですか、と問い詰めて行けば、あっさり腰砕けになる人も多そうです。
ところで、多くの歴史研究者にとって、主たる関心は、長江庄の地頭が北条義時なのかという問題と、北条義時追討の「院宣」が本物なのかという問題にありますが、この二つの問題をめぐる学説の状況については、今年の一月に簡単にまとめました。

長江庄の地頭が北条義時だと考える歴史研究者たちへのオープンレター(2023年1月19日付)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/da89ffcbbe0058679847c1d1d1fa23da
北条義時追討の「院宣」が発給されたと考える歴史研究者たちへのオープンレター(2023年1月21日付)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/94e39f6b117aa61c0aef682dc46feb0e

この二つの問題は重要なので、「慈光寺本妄信歴史研究者交名」に入れるかどうかのメルクマールに、

(1)長江庄の地頭が北条義時だと考えるか否か。
(2)慈光寺本の北条義時追討「院宣」を本物と考えるか否か。

を採用したいと思いますが、その後の検討の中で、武田信光と小笠原長清の密談エピソードを史実だと考えているらしい研究者が多いことに気付いたので、

(3)武田信光と小笠原長清の密談エピソードを引用するに際し、慎重な留保をつけているか。

も三番目のメルクマールとしたいと思います。

慈光寺本の合戦記事の信頼性評価(その8)─「9.武田信光と小笠原長清の密談 4行」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0353816ce8ab1461a133fe452a9d4f93

それと、私がもともと慈光寺本をきちんと調べようと思った直接の切っ掛けは後鳥羽院の「逆輿」エピソードですが、これを疑わしいと思わないのはやはり歴史研究者としては問題ですね。
そこで、

(4)後鳥羽院の「逆輿」エピソードを引用するに際し、慎重な留保をつけているか。

を四番目のメルクマールとしたいと思います。

目崎徳衛氏『史伝 後鳥羽院』(その11)─「院の乗物は「逆輿」である」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c261120149a5dfe7eafc5b1590ff81cd

これら四つのメルクマールに一つでも該当する研究者は「慈光寺本妄信歴史研究者交名」に入れ、多くのメルクマールに該当する人には「大将軍」等の称号を献呈したいと思っています。
なお、「慈光寺本妄信歴史研究者交名」を作成しようとする私自身の下心は権門体制論批判にあります。
慈光寺本を「妄信」する研究者に権門体制論者が多いことは偶然ではなく、私は権門体制論の枠組みが多くの中世前期研究者の基本的な認識を歪めてると考えています。
慈光寺本は権門体制論批判に使えるな、と思ったのが、私がここまでしつこく慈光寺本を研究している動機でもあります。

第一回中間整理(その2)(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3db8eba6474bd92bf295c5e187f93141
慈光寺本・流布本の網羅的検討を終えて(その1)─今後の課題
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e960c2776946a8e96707a8db79c5fdf5

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