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「女工所の内侍、馬には乗るべしとて」(by 中務内侍・高倉経子)

2018-06-03 | 『増鏡』を読み直す。(2018)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月 3日(日)21時50分40秒

ちょっと脱線しますが、『中務内侍日記』には宮廷の女房たちが馬に乗る様子が描かれていて、これは意外でした。
弘安十年(1287)十月、持明院統の煕仁親王(伏見天皇)が十二年に及ぶ春宮生活の後にやっと践祚し、翌弘安十一(正応元)年三月に即位式、ついで同年十月に大嘗会御禊行幸、即ち大嘗会を前に天皇が賀茂河原で身を清める行事が行われるのですが、その場面に、

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 十月十九日、官の庁の行幸なる。廿一日、御禊〔けい〕の行幸。出御の内侍、少将・少輔内侍なり。女工〔によく〕所の内侍、馬には乗るべしとて、勾当とこれと、命婦四人、はゝ木・淡路・備前・肥前。蔵人にみあれの・すむつる。陰陽寮〔おんみやうれう〕にて出で立つ。裏濃き蘇芳〔そはう〕の三衣〔みつぎぬ〕、青き単、纐纈〔かうけち〕の裳、濃き袴、紫の指貫の股立〔もゝだち〕より褄〔つま〕を出だして、くわんの沓〔くつ〕とて履きて、髪上げて馬に乗りて供奉す。仮屋に幔〔まん〕を引きて、女御代の御車立てられたり。出車〔いだしぐるま〕、色々に見えて、便女〔びんでう〕・雑仕〔ざふし〕、車の前に立つ。空薫物〔そらだきもの〕の匂ひ、心憎くくゆり満ちてなん。
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とあります。(『校訂 中務内侍日記全注釈』、p151以下)
少し難しいので岩佐氏の訳を先に紹介しておくと、

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 十月十九日、官の庁の行幸遊ばす。二十一日に御禊の行幸。出御の時剣璽を捧持する内侍は少将内侍・少輔内侍である。女工所担当の内侍が騎馬でお供せよ、という事で、勾当内侍と私と、命婦四人、伯耆・淡路・備前・肥前。女蔵人にはみあれの・すむつる。これらが陰陽寮で支度をする。濃き色の裏をつけた蘇芳の三つ衣、青い単、纐纈の裳、濃き色の袴、紫の指貫の股立から褄を出して、くわんの沓というのを履いて、髪を上げて、馬に乗って供奉する。仮の幄舎に幔幕を張って、女御代の車を立ててある。出車の衣の色合も色々に見えて、便女・雑仕が車の前に立っている。空薫物の匂いが、奥床しく薫り満ちている。
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という具合です。
「語釈」によれば「女工所の内侍」は「悠紀〔ゆき〕・主基〔すき〕の女工所〔にょくどころ〕(大嘗会装束調進所)主管の内侍。騎馬で供奉する。勾当は悠紀、作者は主基」とのことで、この二人だけが騎馬なのかなと思ったら、「以下の命婦・女蔵人も騎馬」だそうです。
衣装についての細かな解説も見る人が見れば面白いのでしょうが、とりあえず省略します。
さて、岩佐氏は「補説」で、

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 大嘗会に際し、主基方女工所の預〔あずかり〕に任命された作者の活躍がはじまる。伏見院宸記・勘仲記等には洩れた、女性責任者から見てのこの大儀のあり方がありのままに記されていて、甚だ興味深い。【中略】
 供奉の騎馬婦〔うまのりめ〕の装束の記述も貴重であり、定番の女房装束しか想像できない後代研究者に得難い資料を提供してくれる。
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と書かれているので、やはり女房の騎馬の叙述は非常に珍しいものなのですね。
ただ、これは女工所の内侍・命婦・女蔵人が非常に珍しい例ということなのか、それとも宮廷女房の相当多くが騎馬も可能であるものの、いわばそれが常識なので、逆に記録にはあまり残らないということなのか。
まあ、辻浩和氏が強調されるように女房はごく限られた親しい人以外には顔を見せてはならない存在ですから(『中世の〈遊女〉─生業と身分』、p278以下)、やはり移動は顔を隠せる牛車で行うのが大原則で、騎馬はそれこそ女工所のような極めて例外的な場合に限定されると考えるのがよさそうですね。
また、『中務内侍日記』の上記引用部分では頭部に関する記述はありませんが、やはり薄絹か何かで顔を隠すようなことがあってもおかしくはないですね。
なお、『弁内侍日記』とそれを受けた『増鏡』にも後深草天皇の大嘗会に際しての女工所の描写が若干ありますが、読み直してみたところ、騎馬を伺わせる記述は特にないようです。
もっとも『弁内侍日記』と『増鏡』には大嘗会御禊行幸を直接描いた場面はありませんが。

「巻五 内野の雪」(その5)─少将内侍(藤原信実女)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/692897e93aa62382d3b0398a495c9a1e
『弁内侍日記』と岩佐美代子氏
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ee4ec0b7a14c68d84fc11b2a8cfad293

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