goo blog サービス終了のお知らせ 

生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分のものとして認めない?

2012年12月05日 | 第12章 応用篇 心の世界を飛び回る
自分に限り、こんな事はするはづがない、と。人はだれも、そう考えていますので、行動に踏み切った場合、すぐ忘れるか、意識化しないか、意識の上で逃避するか、とにかく自分がしたこととして認めない傾向があります。そのように人間は創られているようです。良心の呵責、罪の意識が強いと人間は案外ノイローゼになったり、身体症状が出る人もいるくらいです。持統天皇に限らず天皇は罪滅ぼしの為にお寺を建てたりしています。罪滅ぼしをする人間はやはり美しいなあ、と私は思います。生身の人間は互いに相手を激しく攻撃しあうことだけはやめたいものです。

:<心の世界を飛び回る:243>

下記命題の引用はテキスト「生き甲斐の心理学:140頁参照下さい」:

命題13:ある場合には、行動は、象徴化されていない有機的な経験や要求から起こることもあるであろう。このような行動は、自己の構造と矛盾するであろうが、しかしこのような場合は、その行動はその人自身によって、自分のものとして認められ(owned)ないのである。

備考:広く理論を学習したい方は左記カテゴリーの第1章から11章の好きな章をクリックして楽しみながら勉強して下さい。6年間、書き綴った2275回分の記事が同時に読めます。

いつもクリックして下さり有難うございます。
人気ブログランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする